2003年11月21日(金)

 

屈っ
先日買ったDVD Player新製品が出て、そのせいで俺の買った機種が値下がりしやがった。

う~む、そろそろ次機種がでるかな? とは思っていたのだが買ったとたん出るとは悔しい。
新しい方の機能はたいして魅力を感じないが、リモコンのボタン配置はそっちの方がええのう。

よくわからないねじ」は面白かった。
宮沢章夫って、俺以上にどうでも良い事を何処までも考えていく人だな。

同時に読んでいる、『茫然とする技術』の方は、先日から日記で書いているように、いちいち辞書を引いて、「ちゃんと辞書に載ってるやんけ!」とつっこみながら読んでいるせいかまだ読み終わってない。
こっちの本の最初の章は、「カタカナの方法」という章であり、先日書いた「ハロー」や、「タイム」と言った、元英語だが日本に入り込んで、カタカタナで表現されるとピッタリ来る様な言葉について色々述べているのである。

まぁ、俺も日本のカタカナには「そんな事わざわざカタカナにすんな!」と言いたい物も多い。
こうしている今でも、続々と英語がカタカナとして定着してきているのだろうな。 最近では「リスペクト」あたりも定着したのか? この言い方が流行りだした頃は、電車の中で2人の若者が会話していてい、

 「あの人スゲェよな。 俺よー、あの人をサスペクトしてるんだよ。」
なんて会話を耳にしたが、彼は「リスペクトと間違えている」のか、「疑っている」のかは今でも謎である。

駅を歩いていると、『BAD BOYS 2 BAD』と言う映画のポスターが貼ってあった。  そこに、

 「死んでもお前をリスペクトする!」

とか書いてある。 また、リスペクトですか。
死んでも尊敬・・・、なんか随分思い詰めているようだが、やんごと無き理由でも有るのだろうか。 そんな事を公言しなくても、心の中で尊敬してればいいものを。

つか、カタカナで書くな。
だいたい、英語をカタカナで書く理由としては、「上手い日本訳がないけど、英語の元のニュアンスで伝えたい」と言う事だろう。 だったらいっそ、英語をそのまま書けばいいのである。
「でも、英語で書いたら読めない人がいるから」と思っているのかもしれないが、英語で書いてあって読めない奴はカタカナで書かれていても意味はわからん。 声に出せるだけである。
なのでその単語を知らない人には、先の文章は、

 「死んでもお前をホゲラッピョー!」

とか書かれているのと同義である。 カタカナで書かれている時点で、スペルも不明なので、後で辞書を引いて調べる事もできまいし。

・・・つか、どちらにしろ英語で書いて解らない人には、英語の元のニュアンスなんてわかるまい。 ハナからやっている事が間違っているといえる。 なので上手い訳がないのなら、そのまま英語を使えといいたい。 さもなければ、翻訳者の意地で素晴らしい訳をつけて頂きたい。

そういえば、先日「プライベート ライアン」の「プライベート」とは、「新兵」の事だと知った。 その後、数人に聞いてみたが、多くの人が、俺達と同様に、「個人的理由で救出されたライアン」と言う意味だと思っていた模様。 これもカタカナで書く事による弊害の一つか。

ちなみに、Kに至っては、頭の中では「私のライアンちゃん」と言う和名に成っていたようだ。 プライベートという単語から連想されて行った、Kの思考の過程は想像に難くない。