4月 13 2013
2013年04月13日(土) マニラ(4) キアポ地区 マニラ地区 散歩 | フィリピン旅行(19)
4:00頃マニラに到着したらしい。
予定は6:00前後だったはずだが、随分前倒しである。朝早くの到着については前倒しは嬉しくないぞ。外真っ暗。あと早朝の時間もこまるが、例によって、「ここは何処だ」状態で困る。
幸いどこかでGoogleMapsが位置情報を拾った事に助けられ、ここはマニラ地区の直ぐ北の、パッシグ川を超えた辺りにある、「キアポ」と呼ばれている地区のサンパロックあたりと判明した。
最寄り駅は、Line1のカリエド駅になる。真っ暗でひと気がなく、実はこの辺りは治安がよろしくないのでチョット危ないのだが、場所が判明したことに勇気づけられ、駅に向かって歩くことにした。まだ、タホ売りどころか、屋台も開ききってない状態である。
カリエド前に到着すると、サンタ・クルス教会があったので中でひと休みして計画を練る事に。
・サンタ・クルス教会こんな時間でも開いており、まだ4:30だが多くの人がお祈りをしていた。
教会で休みながら、本日の計画をねる。明日は早朝に日本行きのフライトにのるので、今日一日は自由行動だ。
とりあえず、荷物を預けるか、宿の確保が必要である。明朝の空港行きの事があるので、空港近くにしておきたい。ということで、鉄道で終点のバクララン駅に向かい、近くの宿を当たる事にした。
・自動改札だが、チケットは有人販売。
・逆方面は空いてるのにバクララン方面は満員。
今回初鉄道だ。鉄道はこんな時間でもやっている。やっているどころか、バクララン方面は超満員であり、大荷物で大変困る。なんとか乗り込んだが、結局終点間際の駅までまで混雑したままだった。
バクララン駅を降りて、目をつけていたユースホステルに向かったのだが、運悪く満室である。あ、今日は土曜日だからかもしれないな。
しかたなしに、近くをさまようが一向にホテルが見当たらない。つか、この近辺はガイドブックの地図となんとも食い違っている所が多く、またGoogleMapsもiPod touchでの位置表示は不正確なので、何を信じたら良いのかわからず、正直迷子である。他のホテルがひとつも見つからないし。
タクシーでも拾って、エルミタ地区に向かおうかと諦めかけた頃、ようやくTown Houseというホテルを発見した。
Town Houseは地図上には名前は見かけるが、ホテルとしての紹介はないレベルの取り扱いである。あまり綺麗ではないのだが、風呂・トイレ共同でPhp350であり、最悪荷物を預けるだけのつもりの俺には最適である。部屋があれば昼寝もできるし、部屋があるというのはとてもよろしい。このホテルが有るのを知ってたら、最初からここ目当て狙ってくるところだろう。
とりあえず部屋で、昨日のバナウェでのビショビショになった服と靴を干して一息。
その後、最後の観光に出かける。行き先は、キアポとチャイナタウン辺りが中心だ。今日の朝到着した辺りに逆に戻る事になるが。
宿のちかくで朝食をとり、バクララン駅から電車に乗って北上する。降りる駅はキアポだと芸がないので、その一つ手前のセントラル駅にして、キアポ方面に向かうことにする。
まずは、セントラル駅からパッシグ川を渡ると、マニラ・ゴールデンモスクがあるので行ってみる。
モスクってフィリピンでは初めて見た。このゴールデンモスク一帯は柵で囲まれており、その中はイスラム教の人たちだけで住んでいる様子。門を通るのもチェックを受けるし別の国のような扱いだ。
次は直ぐ近くのキアポ教会(Quiapo Church)。
サンタ・クルス教会の直ぐそばであり、今日の朝は気づかすにすぐそば歩いてたみたいだ。
そしてこの辺りで行きたいところの残りは、「キンタ・マーケット」なのだがどうしても見当たらない。
行きたいのは単に名前が「キンタマ ーケット」という、「金太の大冒険」の一節に使えそうなに名前ゆえに見ておきたかっただけである。
キンタマがどうしても見つからないので、諦めてチャイナタウンへ向かう事にした。
朝も訪れた、サンタ・クルス教会から南のマーケット、そしてオンビン通りをぐるっと回って、ビノンド教会と、ガイイドブックで示さえれている道をそのままなぞって進む。
親善門を通ってチャイナタウンで、よく見かけるけど食べたことのない果物を食べてみる。りんごのような、、、あまり美味しくない。しかも大量の塩がかけられていてこれがまたがしょっぱすぎる。そぎ落としながら食べたがそのうち諦めた。これ、あとまで引きずるマズさで参った。しかも、これでPhp70って全然良い所がない。
・中華街の中心に位置する、ビノンド教会(Binondo Church)
ビノンド教会の南側の親善門をでて、ジョンズ橋でパッシグ川を渡り、おなじみマニラ地区に入る。
川沿いにサンチャゴ要塞に向かって歩いてみる。川は結構汚いが、飛び込んで遊んでいる子供が何人もいた。親同伴なのだが大丈夫なんだろうか。
・チャイナタウンの果物のしょっぱさが耐え切れず、近くのジョリービーで甘そうなアイスを食べる。
・サンチャゴ要塞の前に、タホ売りがいた。もう昼前なのに。
・ここのタホは特大サイズ(php20)。さっきアイス食べたせいもありお腹いっぱい。
イントラムロスの北西の端、サンチャゴ要塞(Fort Santiago)に到着。
サンチャゴ要塞は、かつて城壁都市の中で、戦略上最も重要な場所としての役割を果たしていた。また、第二次世界大戦中は、日本軍が占領しており、多くのフィリピン人が命を失った所である。入場料はPhp70である。
サンチャゴ要塞をでて、イントラムロスを南下。ローマ広場、マニラ大聖堂(Manila Cathedral)と過ぎると、サン・オウガスチン教会(San Agustin Church)がみえ、初日に散歩して観光したあたりになる。
・ローマ広場(Plaza de Roma)。建物の由来など不明。奥の建物がマニラ大聖堂。
・今日は閉まっているサン・オウガスチン教会。右側の博物館は開いているので、入ればよかった。
マニラ大聖堂(Manila Cathedral)もサン・オウガスチン教会(San Agustin Church)も、今日は入り口が閉まっており入れなかった。なぜかよくわからない。
マニラ大聖堂はフィリピンで最も重要な教会とされていると聞いているし、アジア最大のパイプオルガンやステンドグラスが見事とのことで入りたかったのだが。
そのまま 南下しゲートを通過。イントラムロスを後にする。イントラムロスの中には他にも博物館などがあり、今思えば初日は適当に散歩していただけなので入ればよかったと後悔。
ゲートを出た後は、これまた今更ながら近くのツーリスト・インフォメーションに向かう。
その道すがら、2人づれのフィリピン女性に話しかけられる。どこかの地方から観光に来ているみたいだ。すごい勢いで話しかけられタジタジ。
それにしても、フィリピンは本当に英語喋れる人が多いと実感。仕事上使う人のみならず、町の小さな食堂の人、その他道を歩いている誰に話しかけても全然問題ない。他のアジア圏では、ここまで誰でもOKな所って無かったな。
そういえば、ジョージの話では、彼の家族もまずは英語で育てられ、あとから現地語を勉強するのだとか言っていた。日本での、フィリピン関係の英語教育が盛んなわけだ。
彼女らとはリサール公園で別れ、俺はツーリストインフォメーションをのぞいで情報収集する。イントラムロスの中の博物館や、リサール公園のイベントなどを紹介してもらうが、ちょっと今更の情況だし、内容にも食指が動かないのでなので聞くだけにしておく。
バナウェでもそうだったが、やはりインフォメーションは先に来るべきですな。
ついでの散歩で、エルミタ地区を通り、最寄りのペドロギル駅から電車に乗って、宿のあるバクララン駅に向かう。
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4月 13 2013
2013年04月13日(土),14日(日) マニラ(4) パサイ市散歩 帰国 | フィリピン旅行(20)
バクララン駅に到着。
今日の宿のあるこの辺りはパサイ市。観光名所は無いが、地方への長距離バスのターミナルがあるし、ニノイ・アキノ航空もこの市にあるので、とても賑わっている。
バクララン駅の前から近くのハリソン通り(Harrison St)に行く途中、やハリソン通り自体にも店が出まわって人が歩くのに苦労する位混み合っている。
ジプニーも沢山走っているのだが、行き先が色々あってどれに乗ればよいのか分からない。とは言え方向的に南北に走るものしかなく、俺の宿まではどれに乗っても通過するから問題ないとは思う。しかし、どのジプニーも混んでるし、昼飯も食べたいので宿に向かって歩きながら食堂を物色。結局宿の近くの食堂で遅い昼飯。
・ベンジョさんのポスターが多い。
宿に戻ると、フロント前に宿泊者が2人ほどPCをいじっていた。どうもこの宿もWiFiつかえるらしい。
これまでの宿もとくにWiFi使えると明言してなくても使えるところばかりだ。既に、あって当たり前のレベルなのだろう。フィリピンがそうなのか、それとも近年はどこでもそうなのか分からないけども、既に有って当たり前のレベルなのだろう。ただし、バナウェはWiFiは使えるが、電気コンセントが使えないのは予想外であり参った。ソッチの方を当たり前にしてほしい。
休憩がてら俺もロビーでネットをして情報収集。先にフランス女性と、謎白人老人の2名がいて、色々情報交換をする。
女性はこれからバナウェに行くとのことで、しばらくするとカバンを抱えて出て行った。その後、謎白人老人の旅のテクニック伝授のおせっかいがしつこくて参ったので、早々に部屋に戻って部屋で一休み。(昼寝)
夕方起きだして、またバクラランの駅方面へ散歩と夕食。
屋台で肉や果物などかき集めて夕食にする。結構量が多くなってしまったが、それでもPhp100で済んだ。マンゴーも自選だが、まぁまぁ甘くて合格。値段もセブより安めだ。
このバクララン周辺は食べ物屋の屋台が豊富で、意外に今回の旅行の中で一番気軽に見て回ることが出来て良い感じだった。今回のフィリピンの屋台総集編のようだ。
明日は早いので宿に戻って21:00頃に就寝し、気にしすぎて3:00ちょっと前に目覚める。そのままシャワーを浴びてチェックアウトを済ませ、空港へ向かう。
変な時間なので心配していたタクシーは直ぐに捕まった。しかし、「空港?Php200だ」と言うので、「え?メータタクシーでしょ?」と言ったら、直ぐに「じゃ、Php100でどう?」と提案してきた。Php100なら相場程度(空港利用料もかかるようだし)なのでOKにした。
「Php100にしたのなら、素直にメーター使えばいいのに。」と不思議に思うのだが、多分メーターを使うとタクシー代は会社に収めて、自分の取り分がチョットになるんじゃないだろうか。直接交渉なら証拠も残らないし全部自分の懐に入るのではないか。ふむ。
「だとしたら正規のメータの料金以下でも交渉次第でOKになりそうだな」
なんて思った。
飛行機は問題なく7:00頃に関空へ向かって飛び立ち、今回のフィリピン旅行は幕を閉じた。
17日間は、これまでの海外旅行の一国あたりの最長日程だ。
東南アジアの国で訪れたのは、シンガポール、タイ、ベトナム、カンボジア、ラオス、インドネシア、フィリピンで、残す所はマレーシアとミャンマーか。
振り返ってみると、アジアの国々は、すぐ隣だろうと陸続きだろうと、国が違うと、宗教・言語・文化がぜんぜん違うのだな。植民地の時の統治国がそれぞれ違うのに、その影響が大きいからだろう。
フィリピンもインドネシアと似たような国と思っていたが、予想とかなりのギャップがあった。
それにしても英語のレベルが高いのが印象的だった。そのため案外やり取りに不自由しなかった。刑務所行きにも免れたし。
まぁ、これらは相手の英語レベルとともに、自分のスキルの方もアップしてるということもあるのだけど。
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By 俺様 • 2013年 フィリピン旅行日記 • 0