7月 27 1992
中国見聞録(1) 1992年7月27日(月) 中華人民共和国到着
1992年7月27日(月) ~1992年8月7日(金)の予定で、中華人民共和国の北京へ旅行。
同行者は、T。これが俺にとっても、Tにとっても初めての海外旅行であるのだが、無謀にもツアーではなく個人旅行とした。理由は確かTが
「個人旅行の方がなんとなく面白そう。」
と言ったのを、俺もあまり考えなくOKしたんだったか。
元々ふたりとも、中国には興味があり、大学の第二外国語として中国語を選んでる。この辺りが今回旅行先を中国に決めた理由でもある。
その上、Tは昔から英語に興味があり、「ドリッピーの冒険」やら何やら、金に糸目をつけずに英語に取り組んでいる事もあり、実力は未確認だが、本人の口ぶりから英語に関しては相当の自信が伺える。これなら個人旅行でもなんとかなるだろう。
ということで、日本を旅立つ。
Tは体調に問題無し。俺は前日運動しすぎで、半分脱水症状になっていた。前日ぐらいおとなしくしてるのだった。
機内では入出国に必要な書類の書き方が全くわからず手こずったりし、体調不良でぐったりしている内に中国(北京)に到着。
空港では荷物を受け取るのに1時間位かかる。
その後、中国銀行で換金をすると、担当のねぇちゃんがスゲェ態度悪い。旅行前から、「共産主義では、店員の接客ぶりは酷い。ましてや、中国では。」と聞いていたが、それはこの空港から既に始まっているのであった。
換金レートは、1元=25円ぐらいであった。
ちなみに、中国では人民幣と、外貨兌換券が存在する。
人民幣と外貨兌換券の額面価値は等価であるが、外貨に両替可能なことや、人民幣では買えない外国製品が買える為、人民にとっては外貨兌換券の方が価値が高く、民間ではチェンジマネーが横行しているが、これは見つかると、外人側も捕まって強制送還に成るという話だ。
Tの換金を待っている間、タクシー運転手に捕まった。
参考までに値段を聞いてみると280元。予め得ている情報では、高くても100元の距離のはずである。やりとりの途中、Tが戻ってきたので、「このタクシーだと宿まで280元だって。」と言うと、Tは信じられないと言う顔をして、
「280って『元』か?『ドル』の間違いなんじゃないか?」
と運転手に言っていた。「さらに値上げしてどうする。」と思いながら、Tの不思議な回答に困惑している所を値段交渉をした結果、200元まで下がったが、それでも高いのでお断りし、とりあえず空港の外に出る。
現在深夜0時近く。バスが走ってるのか心配だったが、まだあるようでホッと一息。
その中に、予め宿を取っておいた、北京亜洲大酒店(アジアホテル)の目の前にある、工人体育館行きのものがあるので、これに乗り込む。バスと言っても、乗り合いのバンで、料金は8元である。
200元の所を8元で済んだ所で、「俺ら上手いことこなしているな」、二人満足である。
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7月 27 1992
中国見聞録(2) 1992年7月27日(月) 北京亜洲大酒店
バスに乗る時に、目的の「工人体育館」は空港から何番目の停留所か確認していたのだが、出発してしばらくすると、今が空港から何番目の停留所かわからなくなった。どうもバスは決められた停留所だけでなく、違うところでも停まったりしている様子なのである。
Tに聞くと、「工人体育館は次だ。」と自信満々で即答するので降りる。そして、そこは予想通り間違っていた。
この程度のトラブル、まだ余裕あり。
どうせ、1停留所ぐらいの距離なので、地図を見ながらバスが走っていった方向に向かって歩き出したが、どうも地図がまわりの地形と合わない。近くに居たタクシーの運転手が何か言っているが内容が分からず、とりあえずホテルを告げて乗ることにした。何故かひとりあたり10元と言う料金設定ったが、二人で20元ならまだまだ上手く行っている方である。
タクシーは北京亜洲大酒店に問題なく到着。
ホテルと周りを地図で確認したが、どうも持っている地図の記載が間違っているようだ。こいつを信頼し過ぎたのが敗因か。旅行においては地図だけは間違いないと信じきってしまうが、これは危険なことかもしれないと、ふんどしを締め直すことにする。
フロントでは、身振り手振りでなんとかやりとりし、ボーイに部屋へ案内される。部屋にはテレビも有り、バルセロナオリンピックをやっていたが、映りは悪い。
ボーイは一通り部屋の中を説明を終えたのだが、チップを払うんだろうか。このホテルは一般的に中級以上で払うべきなのだろうけど、どうやっていくらぐらい渡すのかわからん。
そこで、Tに対応させようと目論み、テレビに夢中なふりをしてみたが、Tも何も特に動かず、ボーイも諦めたのか、もともと受け取らないものなのかわからないが、直ぐに部屋を出て行った。
とりあえず部屋に落ち着き一安心。
凄い疲れたが、あとは寝るだけだとホッと一息ついた所、部屋の電気が消えた。まわりを見ると、部屋の電気だけでなく、あらゆる電気製品が止まっている様だ。
どうしたのかと思えば、Tが部屋のルームキーが珍しく、電気が連動してる事を知らずに抜いた様である。
ルームキーが珍しくても電気が消えたらどんなものか見えないだろうに、いつまでたっても電気が復活しない。「早く挿しなおして」と催促したら、どうもキーが入らなくなってしまったらしい。ホント余計なことをする。
Tはしばらく格闘したが、どうしても入らず、フロントにも電話したが、得意の英語が通じず、電話を切られてしまった様だ。
そのままTの格闘に任せたが一向に復電する様子がない。もう、電気が消えてから1時間ぐらい経過している。
「いったい中国のルームキーは、どんなに複雑な仕組みなのか」、と俺がカードを受け取り、差し込んでみると普通にささり、復電した。Tは一体何をやっていたんだろうと不思議で仕方がない。
ようやっと、あとは寝るだけと、こんどこそホット一息ついたとたん、隣のTが大いびきで既に寝付いている。かなり大きくうるさく、眠れぬ。
なんか、本気で帰りたくなってきた。
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By 俺様 • 1992年 中国見聞録 • 0