12月 19 2013
2013年12月19日(木) 高野山 兵どもが夢の跡
朝は早くからお寺の行事に参加。
これら、外人も含めた観光客様に参加できるイベントとして宿で企画されている。
お寺といえばやることは何処の宗派も同じように見えるが、真言宗のオリジナリティあふれるものといえば、護摩焚きであるな。結構派手にボウボウ燃えるもんだ。
とりあえず寒くてしょうがないのだが、招かれるままにあっちこっちの離れに行ってはお経をあげたりしながら、朝のお努め終了。部屋に戻って朝食をとる。
朝食後は風呂にも入って温まり、正直寒くて出かけたくないぐらいなのだがしかたない。意を決して高野山奥の院に向かう。
そもそも高野山と言うと山全体の事で、何処に行けばよいのか分からないまま来てしまった。
高野山のお寺としては金剛峯寺が中心なのかもしれないが、俺の目的はお遍路の最後の締めにサインをもらう事であり、これは奥の院の近くで行われてるらしく、とりあえずそっちに向かってみる。
奥の院に向かう参道はお墓だらけだ。
中でも安土桃山時代の有名武将がこぞって祀られている。歴女垂涎であろう。
しかし、なんか安土桃山時代以外の武将はあまりおらず、有名どころは勢揃いしすぎており、なんかこれって本当なんだろうかと疑いたく成ってしまうな。勝手に祀ってたりするんだろうか。だいたい、この武将たちは仏教でしかも真言宗なのだろうか。
とは言え、興味津々であり、有名ドコロは逃さず見ようと牛歩の如き歩みで参道あっちこっち寄り道しながら進む。
なかでも、織田信長は外せないところであるが、そういうものに限って見つからない。看板も出ているし、方向的にはこの辺り…と、脇の外れを探ることしばし。人気武将にしては、ほとんど人が通った形跡もないような道をかき分けてす進み、ようやっと織田家の墓を見つけたがなんか普通の近代の真新しいテカテカの墓である。
興ざめしながら参道の本道に戻ると、本道の直ぐ脇に信長の墓発見。近すぎて最初に見落として進んでしまったようだ。
するってーと、俺は全く関係のない織田さんの墓を見つけてお参りしてしまったようだ。
曲がりなりにも織田さんの墓を見つけるとは、なかなか難易度の高いミスであることよ。こやつめハハハ。
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12月 19 2013
2013年12月19日(木) 高野山 お遍路完結
御廟の橋にたどり着く。ここから先は撮影禁止だ。
この先には奥の院がある。
しかも、なんと今でも奥の院で空海は生きていて、衆生を救うために祈りを捧げていると言う。
当然生きているので食事もとるため、食事が一日2回運ばれてるとのことだ。
更に偶に四国のお遍路へと旅立つ事もあるらしい。今でもなお大活躍なお大師様である。
奥の院はいうなれば大師堂にあたるのだろうか。
お経持ってくるの忘れたのでうろ覚えだが、とりあえずギャーテーギャーテーのくだりだけは確りと般若心経を唱えてお祈りしておく。
改めて御廟の橋を渡ると近くに納経所があり、締めの御朱印を頂く。
先日(たまたま)京都の東寺にも行ったし、今日の高野山奥の院で完璧にお遍路完了である。めでたい。
しかし、これでようやく一周。そのなかで行き交う人の御札を見ると、緑(5回以上まわってる人)の人はザラに居た。
まだまだ、俺たちの旅は始まったばかりだ!
~ 先生の次回作にご期待ください ~
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By 俺様 • 2013年 有馬温泉・高野山, 2012年 四国88箇所巡り(お遍路) • 0