8月 18 2005
2005年8月18日(木) その3 アユタヤー着陸失敗 | タイ旅行(25)
バイクタクシーに乗って、近くのバターミナルに到着。
何種類かのバスがあり、それぞれ行き先が異なるようだ。 しかし、おばさんに俺の面倒を言いつけられている、バイクタクシーの運ちゃんは、
「バンコク行きはあのバスで、チケットはあそこで売っている。バンコクは終点だから最後まで乗っていればいい。」
と教えてくれたので、迷うことなくバスに乗り込む。
13:30にバス発進。 15:30前にはバンコクに到着した。 2時間かよ。
外の景色を眺めていたが、バスのスピードは結構速かった。 列車の利点というと、信号等無く時間に正確だろうと言うことが挙げられるが、このバスが走っている道は信号等ないようで(高速道路か?)、こうなるとバスも充分早い。
つか、今日の列車について言えば、バンコクは始発駅のくせに出発で相当遅れていた。 どう考えても、タイではバスの方が全ての点で優れている気がするな。
到着したターミナルの様子を調べる。
行きもここから乗れば良かったのだな。 ここから色々な方面のバスが出ているようで、とりあえずここに来て行き先を調べれば良かったのかもしれない。
さて、現在15:30である。 本来の予定では、このままバンコクで時間を潰して、23:00までにドン・ムアン空港に行けばこの旅も終了である。
しかし、バスの利便性を再確認した俺は、ここからバスでさらにアユタヤーまで行って、チョット観光しドンムアンに戻るという野望を企てていた。
いろいろ行き違いがあったが、アユタヤーの観光も出来れば、色々なミスを取り戻した気分になれるに違いない。 やるしかねぇ。 目算では時間は足りる! ハズ!
と言うことでアユタヤー行きのバスを探す。
するとどうやらバンコクにはターミナルが二つあり、このターミナルは南ターミナルであり、アユタヤー行きは北ターミナルから出ているらしい。 そう言う仕組みだったのね。
このターミナルの北と南は結構な距離離れており、そのターミナル間の移動もバスを使わなくてはならないようだが、どうしてもそのバスが見つからない。 そこで仕方なしにタクシーで北ターミナルに移動。
この北ターミナルは凄い広く、チケット売り場は二階建てに成っている。 なんか、空港並みの施設であり、タイのバス至上主義が伺えるな。
それにしても、こんなに沢山の窓口必要なほど、様々な行き先のバスが出ていると言うことだろう。 これは自分で探すのはハナから諦め、人に聞いてはそっちの方へ行き、そこで又人に聞いてを繰り返し、どうやらチケットが入手できたみたい。 エアコンバスのものであり48Bだ。 安い。 南、北ターミナル間のタクシー代が111Bであり、もう金銭感覚が狂ってくるぜ。
とりあえず小便がしたいので、トイレを探したところ、近くの人が俺が乗り場を探してうろうろしているのかと思ったのか、「チケットを見せろ。うむ、お前のバスはあっちだ」と教えられ、その手前そっちの方へ向かわないと悪いので、そっちへ少し行ったところで、又便所を探す。 すると、またその近くの人に、「チケットを見せろ。うむ、お前のバスはあっちだ」とまた指示されてしまう。
そんなことをしてる内にバスの前に辿り着いてしまい、女車掌に、「チケットを見せなさい。うむ、あんたのバスはこれだ。乗れ。」言われ乗らざるを得なくなる。 ああ、小便がしたい。
早々にバスに乗り込む事になったが、発車時間はまだ先らしく一向に発車する気配がない。 何分発か確認すると、「もうすぐ」と言われるだけで、正確な発車時間を教えて貰えない。 トイレに行っている間に発車されてしまうのをおそれてシートで待機。
結局、16:53にバス発進。 こんな事なら小便どころか、大便しても余りある時間だった。 と言うか、ここで発車待ちでこんな時間ロスするとは。 小便よりもアユタヤー行きの俺のスケジュールの方が心配だ。 でも小便もしたいぞ。
バスというと、相変わらずつきまとう心配は、「降りるバス停が解らない」と言うことである。 このバスもアユタヤーを経由するが、終点ではないらしいので、自ら降りなくてはならないのだ。
アユタヤーとも成ればそれなりに大きいバス停だと思うが、念のため女車掌に
「アユタヤーで降りたい。アユタヤーについたら教えてくれ。」
と伝えると、「うむ。」と鷹揚に頷かれたので安心である。
それにしても、やっと出発したこのバスだが、色々なところでしょっちゅう止まる。 そこで、運転手や車掌が降りて、
「アユタヤー経由の○○行きだよ~!」
と言う感じで叫んで、客を集を募っている。
それは解るが、たまに歩く人を呼び止めて、「バスに乗らないか?」と言う誘ってまでいる。
バスの客引きに誘われたからって、「じゃあ乗ろう」なんて言うことにならないと思うのだが、案外乗る人が多いのが不思議である。 彼らの行き先は風まかせなんだろうか?
それより、何回も止まっては結構長い時間停車して客引きをしているので、イライラする。 俺は時間が無い上に、小便がしたいと言うに。
18:00頃に停車した駅に、見覚えのある風景を発見。 む、ここはドン・ムアン空港じゃあないか。
結構時間を食ってしまい、現在18:00過ぎ。 空港で待機するには早すぎるが、アユタヤー行きを諦めこのまま降りて旅を終わらせるのも1つの手ではある。
しかし、俺の目算ではココとアユタヤー往復は2時間ほどで、まだギリギリ時間がある。
正直言って観光できなくても、アユタヤーに降り立ったと言う事実さえあれば、とりあえず満足だ。 俺はやれば出来る子と言われて育った。 男にはやらねばならない時があり、俺は男で、今はそのやる時であるに違いない! NO断念!!
と言うことで、ドン・ムアンを見送る。 それにしても小便がしたい。
その後も止まっては客引きを繰り返すバスにイライラしながら、も我慢し、小便も我慢していると、外はアレヨアレヨという内に日が落ちて外は真っ暗に成ってしまった。
先ほど車掌に確認したら、アユタヤーには18:30は到着すると言っていたが、今確認すると、19:00に到着すると言われた。 特に時刻が定まっているわけではないのだろう。 とりあえず、「アユタヤーで降りたい。アユタヤーについたら教えてくれ。たのむぜ。」と念を押しておく。
そして19:00をすこし過ぎた頃、高速道路っぽい大きな道から外れて、街中っぽい所を走り出した。 いよいよアユタヤーらしい。 結局19:00と言うのも守られなかったが、まぁ無事たどり着ければそれでよい。
街に近づいたからか、また、こまめにチョクチョク停車 (客引きのない普通の小時間の停車だが)をする。 多分それらのどこかで降りても、何らかの遺跡の近くだとは思うが、変なところで降りたら場所が解らず、困ってしまいそうだ。せっかくココまで我慢したのだから、ここでしくじって台無しにしたくはないので我慢だである。
そのうち学校の様なところで、女学生が大量に乗り込んできて、バスは満員になってしまった。
とりあえず観光は時間的にもう無理だな。 外も真っ暗であり、タイムオーバーである。 バスを降りたら、直ぐに逆向きに乗り直して空港に向かわなくて成らないだろう。
今窓の外をチラッと遺跡っぽい物が見えた。 ただの民家かもしれないが、下手に確認せずにあれで良しとしようとポジティブシンキング。
そのまま、しばらくバスは街中をぐねぐね走ると、なんかまた高速道路みたいな道を走り出している気がする。 時間は19:15分過ぎ。 まだ車掌は何も言ってこないが、バスの中は満員でその車掌が何処に行ったのやら不明である。
そこで隣に座っているお婆さん(英語不可)に、身振りで「アユタヤーはまだ?」と聞くと、「大分前に通過したよ」とバスの後方を指さしている。
「げぇ! マジで!?」
とビックリし、あの車掌を捜すが、満員バスの奥の方にいるのか、もう違う車掌にでも入れ替わっているのか見つからない。
近くの女学生にも確認してみると、
「あらやだ、英語だわ。」
「あなた話しなさいよ」
「えー、私ぃ~?あなたの方が英語出来るでしょう」
「私英語は出来ないわよぉ」
と、照れて押しつけ有っており、とても微笑ましいのは良いが、俺はそれどころではないんだが。
そんなこんなで、
「おーい、外人が何か騒いでるぞ~!」
「誰か~! 英語のわかる奴はいないか~?」
「私がわかる」
「でも、この外人が英語ダメそうだ」
と、俺の回りは騒然としだした。 とりあえず、英語OKと名乗りを上げた、1人の女性に周りの人との仲立ちをしてもらって状況確認。
とりあえず、相当前にアユタヤーは通過したというのは間違いないようだ。 くそう、あの車掌は何処行ったんだ?
このままバスはかなり遠くまで旅立ってしまうようなので、とりあえず降りなくてはならぬが、ここで降りても逆向きのバスはもう無いらしい。
また、タクシーもトゥクトゥクもここら辺は走ってないので、その手の乗り物を捕まえるのも無理っぽい。 歩いていくのも無理な距離で、オマケに雨まで強く降り出しており、小便もかなりしたい。 踏んだり蹴ったりである。
他の日なら予定変更し、行き着く所まで行くのは問題ないのだが、もう今日の深夜の飛行機で帰らなくはならないのだ。 余計な色気を出さずに、さっきドン・ムアンで降りとけばよかったか。
でも、いまさらどうしようもないので、どうしようか悩んでいたら、先ほどの女性が、
「とりあえず私に任せなさい。 次の駅で降りるわよ」
と言われ、言われるままに降りる。
どうやら、この女性の親戚がこの近くに住んでおり、車で迎えに来て貰える様に電話で頼んで見るとのことである。 有り難い話だ。 タイでも携帯電話が普及していて良かった。
この女性はメイと言って、バンコクの会社に勤めているらしい。 毎日こんなに遠くから通っているらしい。 大変だな。
19:30頃、メイの親戚の親子が到着したので車に乗り込み、ドン・ムアン空港に向かい。
21:30頃ドン・ムアン空港に到着した。
メイは、
「次にタイに来た時は、是非アユタヤーを観光してってください」
と言って、送り出してくれた。
メイの一族には非常に迷惑をかけてしまった。 今回のタイ旅行で、タイ人は皆かなり親切だと感じていたが、ここまで親切にしてくれるとは。 本当に感謝である。
もし、俺が日本で逆の境遇の外人を見かけても、ここまで親切に出来るだろうか? いや、できないだろうなぁ。 ただ、今回この様な目にあったので、これからは出来るだけ親切にするとしよう。
…しかし、「してもらったから、俺もする」って考える所が、我ながらちょっとセコイな。
とりあえず、アユタヤー観光は、遺跡らしいものをバスの窓から見たと言うことで良しとし、それよりも、5時間にわたる小便我慢から解放された事にひとまず満足な俺だ。
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8月 18 2005
2005年8月18日(木) その4 ドンムアン空港→日本帰国 | タイ旅行(26)
空港について、小便もした。
搭乗券も入手したし、後は日本に帰るだけだ。
チョット小腹が空いたので、簡単なファーストフードと缶ビールで一息。 さすがに空港では料金が高い。
他にお金を使うこともないので、銀行で日本円に換金する。 札とコインの合計で、300Bは記念に残しておこう。
その後、チェックインしに向かうと、回りのみんながなんか搭乗券と違うチケットを係員に渡している。 どうやら、空港使用料のチケットらしい。 しまった、空港使用料の事をすっかり忘れていたぜ。
近くの窓口で支払うらしく、行ってみると価格は500B。 支払はバーツのみで、ドルもダメ。 持っているバーツでは少し足りないので、またバーツへの換金の必要があるな。
すると、近くで様子を見ていたらしい、日本人の青年が、「バーツ沢山余ってるのであげましょうか?」と、声をかけてくれた。
貰うのは申し訳ないので、その分日本円で払う事にしたのだが、彼は「沢山持っている」と言っていた割には、260Bしか持っていなかったので、1000円で譲って貰うことにした。 俺の記念用に残していたのと併せてギリギリ足りた。
そして、その青年とチェックインしに向かうと、「あ!僕の空港使用チケットがない!」と焦り出す青年。 色々探してるが、見つからず、 「どうしましょう?」とか俺に言ってきてるが、無いのなら買い直すしか無いと思われる。
そこで、一緒に銀行に向かおうとしたところ、「ポケットに入ってました!」とチケットを見つけ嬉しそうに叫ぶ青年。 そこは真っ先に探すところだと思うが。
これだけ見ても解るように、彼は相当な粗忽者である。 その上、英語も全く喋れないので、チェックインでも係員の言うことを、勝手に変に解釈してトンチンカンな行動を取りまくってる。 相当時間をかけて何とかチェックイン完了していた。
彼は大学生で夏休みを利用した個人旅行だったとか。
タイに入国した後、直ぐにベトナムへ行ってそのままベトナムに滞在し、帰りに今バンコクにいるらしい。 タイではこの空港にしかいなかった事になる。
だったら最初からベトナム行きの航空券で往復すればよいようなもんだが、元々計画を立てずに来たので、なんかの流れでこうなってしまったとか。
たった1人の個人旅行でそんな動きをしているのか。 先ほどの様子から、「この調子でよく無事だったな」と思わざるを得ないが、
「いやー、行く先々で、日本人やベトナム人、その他いろんな人に助けて貰いましたよ。
みんなから『その調子でよく無事だったね』と言われました。 へへへ。」
とか言っている所を見ると、この明らかな粗忽っぷりも、彼の武器のようだ。 みんな見るに見かねて助けるのだろう。 そんな彼に、助けられた俺は、それより下のレベルなんだろうかと心配になってしまうな。
彼が個人旅行にした理由は、沢木耕太郎の「深夜特急」に憧れての事らしい。 俺にその本を読んだか聞くので、「今、タイの途中までしか読んでない」と答えると、「ダメじゃないですか。 タイを個人旅行するなら、あの本を読んでからじゃないと。」とか言っている。
つか、俺は別にあれに憧れての旅ではないし、沢木耕太郎はバンコクしかいなかったので余り関係ないのだが。 それより、この青年は、あの本に憧れたのに、なぜベトナムに行ってるんだか。 沢木耕太郎はベトナム行ってないぞ。
この青年はベトナムでの出来事が話したくて、話したくて仕方がない様子で、「ベトナムで面白い事が有ったんですが、聞きたいですか?」と目をキラキラさせて言ってくるので、聞かせて貰うことに。
しかし、彼の話は
「ベトナムの宿で女性がいて、親切で男の人がいて、カードで賭け事をしたんです。 違った。 宿屋じゃなくて… あ、カードじゃなかったです。 あの、…」
と、話が纏まっていない上に、興奮しながら焦って話すので、内容が前後したり、さっきまで言ったことが全部間違っていたと言ったりする。 その為、登場人物が何人いて、どういう流れででどんな事になったのか一向に理解できない。
とりあえずこちらからの質問を交えて、何とか理解出来たのは、
「ベトナムで賭け事をして、270万円請求されたが、払わずに済んだ。」
という事らしい。 イカサマで騙されたんだが、普通に負けただけなのか結局解らずじまいではあるが、適度に相づちを打ちながら話を聞いた。
一通り話し終わると、「そっちの話も聞かせてくださいよ。」と言うので、特にないと答えたのだが、「イヤイヤ、一つや二つ話があるでしょ?」とどうしても話せと言う。 仕方なしに話を始めると、途端に彼目からは光りが消え、無精髭をイジリながら、「はぁ、へぇ」とタイミングも合ってない、気のない相づちである。
俺はそれをみて早々に話を切り上げ、「そっちは他になんか有った?」と聞いてみる。 すると、待ってましたとばかりに、また目をキラキラさせながら「ええ! これが面白い話があってですね。」と話し始めた。
多分、俺に話を振るのも、自分ばかり一方的に話すのを悪いと思って、彼なりに気を遣ってたんだな。 しかし、今回の話も一向に内容が解らないのだが、最後に「なんと言っても270万円ですからねぇ」と言っている所を見ると、さっきと同じ話だったのだろうか?
それが終わると、「そちらの話は?」とまた聞くので、「もう、コレっぽっちも変わった事のない平穏無事な旅だったよ。 それより、そっちの話を聞かせてよ」と言うと、嬉しそうに「これが面白い話が有ってですね、」と始まって、いくつか話すのだが、結局最後は、「なんと言っても270万円ですからねぇ」で終わるところを見ると、やっぱり同じ話だったんだろうか。 きっと今回の旅行が、彼の大冒険で、270万円の話は、彼ご自慢の武勇伝なんだろうな。
本当に武勇伝と言える物だったのかもしれないが、この俺の頭脳を持ってしても、どうしても理解出来なかったのが残念である。
飛行機は、50分ほど遅れてタイを出国したが、特にトラブルもなく…、いや飛行機内で近くに変な人いて困惑したが、翌日早朝に無事日本に到着した。
日本の入国審査では今までに無いほどヤケに細かくチェックされ、麻薬犬まで後ろを歩かされた。
別に、大麻も何も持ってないから心配ないのだが、タイで数回犬に絡まれたので、そう言う意味でドキドキしたが、問題なしに通過。
お土産の鳴きカエル軍団
実は象が2体隠れてる
こうして、タイ王国一人旅は無事終了。
第一目標のメコンの夕陽は見れず残念だったが、第二目標のアユタヤー観光もほぼ出来ず残念であり、…こう考えると当初の目標は、ことごとく失敗に終わっている。
んが、予想しなかった楽しみも数多くあり、大満足だ。 カエルの目利き他、得ることも多い旅だった。
タイ人はお世辞ではなく、親切な人が多かった。 個人旅行故に、直接接する機会が多く、そう感じたのかもしれないが。
英語は日本よりは通じるとは思うが、全く喋れない人も多かったが、たとえ喋れなくても突き放したりせずに一生懸命相手をしてくれるた。 有り難いことだ。
食べ物は屋台ばかりで済ませていたが、そこに有る物の何を食べても美味しく、果物も豊富で美味しかったな。
下痢も全く起こらず、何故か日本にいる時より、調子が良いぐらいだった。
もっと長い期間旅行したかったぜ。
将来、リタイヤ後の老後は、タイで生活というのも悪くないかもな
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By 俺様 • 2005年 タイ旅行日記 • 0