11月 12 2007
2007年11月12日(月) ラオス(ビエンチャン):Syri2
早朝目覚めると、ヴィエンチャンに到着していた。
途中一度も目覚めなかった。VIPバスの乗り心地も悪くないし、道自体が結構良かったのだろう。
バスを降りるとまずは今日の宿探しを始める。しかし、何処も満室で一向に見つからない。評判の悪いところとかにもあえて行ってみるがダメである。
どうも、近々ラオスで大きな祭りがあり、坊さんたちが全ラオス中からヴィエンチャンに終結する、「大坊主祭り」があるらしい。毎年、この数日前から、ヴィエンチャンの宿は満室になるとの事だ。
それでも何とかSyri2と言う宿を取る事ができた。
部屋に荷物を置いて、飯でも食おうと外に出ようと思ったら、日本人に遭遇した。なんと、彼はタイのドミトリーで一緒で、ナーカーサンの船着場で見かけた、YSである。
話を聞くと、彼もTYの薦めにしたがって、俺と同じ様なルートをのんびり旅してきた様である。ちなみに、カオ・プラ・ヴィハーンにもしっかり行ったらしくて妬ましい。つか、彼はちゃんとTATでタクシーを手配してもらったとか。くそう、話が違うじゃないか。
TYはそろそろヴィエンチャンを出ようと思っているらしい。
俺はここヴィエンチャンは、北に行くために通過するだけのつもりで、明日旅立つ予定であり、それならばと、一緒に旅立つことにした。
我らの目的は、北のルアンバパーンに行くのは間違いないのだが、可能であればその少し東側の、ポーンサワン(シェンクァーン)に行きたいと思っている。その近くには、ジャール平原と言う広場があり、そこには謎の石壷が大量に有る事で有名だなのである。世界遺産などには指定されていないのだが、ラオスの数少ない見所である。
やはり、この町は首都だけあり、何処に行くチケットも手に入れやすく、ポーンサワン行きのチケットも難なく入手できた。
その後おきまりの街を一人ブラブラ散歩し、夜はYSと一緒にメコン川沿いのレストランで飯を食ったり、サウナとマッサージへいく。マッサージはもちろん非エロの、ラオスの伝統マッサージであるが、一応若くて可愛いい娘がいると言う店にしておく。うむ、噂に違わず、確かに若くて可愛らしい娘達であるな。
—
11月 13 2007
2007年11月13日(火) ラオス(ポーンサワン):宿名忘れた
朝から恐怖の長距離バスの旅スタート。
何が恐怖かと言うと、一口には言えず色々ある。まずは乗っている時間の長さ。もうひとつは、バスの乗り心地。道じたいはガタガタということもないのだが、山道をグネグネしている。これが問題なのである。
と言うのは、ラオス人は猛烈に乗り物に弱い。俺も、ゲームの「塊魂」をプレイして気持ち悪くなって倒れるほど、乗り物酔いの弱さには自信があるのだが、ラオス人はそんな俺の数倍は弱いようである。
以前、これと同じバスに乗った人の話では、ラオス人全員、バスの中で吐きまくり、阿鼻叫喚の地獄絵図の様だったと聞いた。そう言えば、数人の手に渡ってから俺がゲットした、色々な旅人の書き込みがしてあるガイドブックにも、このバスの旅について書き込みが有った。「フラフラだったよ」、とか、違うところは「きもちわるくなる」と、わざわざ細かく書いてあるのが、彼らの生の声なのであろう。
そんなドキドキのバスの旅だが、とりあえず俺はあまり気持ち悪くならずにすんだ。だが、俺の近くのラオス人の数人は期待通り、ゲロゲロ吐いていた。まぁ思ったほど吐く人が少なくてよかったし、みんなちゃんと窓の外に吐いているので、もらいゲロなどをせずに済んだ。
しかし、驚くべきは白人の人たちだ。基本的に彼らは旅にぶっとい本を持ち歩き、暇を見つけては読んでいるのだが、こんなバスの中でも本を読んでおり、こっちは見てるだけでも気持ち悪くなってきたぞ。
バスの移動時間は、通常11時間位だが、Expressのバスにしたので、少し早く9時間でポーンサワンに到着。
バス停から無料送迎をしている人の案内するホテルに向かい、今晩の宿とする。そして、その人の扱っているジャール平原へのツアーの話を聞き、値段は$80程度と相場なので、そのまま手配してもらう。
ポーンサワンは本当に小さく何も無い町である。旅行者もジャール平原に行く以外にする事が無く、長期に滞在する人はいないようだ。
YSと、晩飯にガイドブックで紹介されている、スペアリブが美味しいと書いてある店に行ったら品切れで残念。あと、川海苔のスープが絶品と言うのだが、メニューから探せないし、店員にもそんなもの無いといわれ断念。絶品のはずだが、店としてはそんなつもりは無いんだろうか?
—
By 俺様 • 2007年 タイ・カンボジア・ラオス旅行 • 0