旅立ちの朝は早く、朝の5時頃には荷物まとめて家を出る。
Tとは同じスカイライナーのチケットを購入しているので、日暮里にて合流する。
しかし、なんか落ち込んでいるので聞いてみると、「クレジットカード持ってくるの忘れた」とか。
いきなり忘れ物をした事により旅の不安を覚えたようである。
空港第二ターミナルに到着。 すると満面の笑みでNに迎えられる。
なんでそんなに喜んでいるのか聞くと、「携帯電話を忘れた」とか。
集合は空港で連絡を取り合うつもりで適当にきめていたので、俺達と合流出来るのか不安でたまらなかったらしい。
予め俺達が乗るスカイライナーは告げておいたので、それを頼りに俺らの到着を待ちわびていたらしいのだが、自分の記憶力に自信が無く絶望のズンドコにいたようである。
「携帯はなくてもエジプトで困らないが、クレジットカードがないとお金に困る。 俺の方がまし。」
「いや、俺は最低でも$800+15,000円の現金を持っている。 少なくとも今のところは俺の方がまし。」
と、どうでも良い事で二人で優越を競っている。 こいつらが旅のツレで良かったのだろうか?
チケット受け取りのためすこぶる早い時間にチェックインしてしまったが、出発まで何もする事が無いので、適当な所に三人座って口を開けながらボーっと時が過ぎるのを待ち、AM10:25にKLMオランダ航空の飛行機で成田を離れる。
これからオランダのアムステルダムのスキポール空港まで12時間、そこから更に6時間弱かけてエジプトのカイロに向かうことになる。 俺達の長い旅は始まったばかりさ。
飛行機の席は3人並んだ席で、Tは何処でも良いと言いながら一番奥に座る。
うむ、それにしてもいつものことだが狭い。 特に食事中なんて肘から先しか動かせぬ。 インナーマッスルのトレーニングのようだ。
そんな食事まっただ中に、Tが便所に行きたいと言い出す。
「飯が終わるまで我慢しやがれ。」
「いや、我慢した結果が今だ。 勘弁してくれ。」
と辛抱堪らん表情を見せるのでNと二人で渋々席を立ち、「今後は奴を奥に座らせるのはやめよう」と示し合わす。
それにしても12時間は暇である。 本でも読もうと、Nに例の赤い本を貸してくれて言うと持ってきてないとか。
あの本は、エジプトでの現地人とのやりとりといった、泥臭い情報があるので、一通り目を通したかったのだがな。
Nは一通り読んだのか聞いてみると、
「『エジプトの便所にはたいていウォシュレットが付いている』らしい。
で、その水が出る部分に『まれにウンコが刺さっている』と言う情報がイラスト付きで載っていて、そのインパクトが強すぎて他をあまり覚えていない。」
と、本当にクソの役にも立たない情報しか頭に入っていない様子である。 意味ねーな。
しょうがないので寝たり転けたりしながらダラダラ時を過ごす。
—
15時過ぎ、オランダのアムステルダムにあるスキポール空港に到着。
このスキポールと言う名前だが、その語源をそのまま翻訳すれば『「船の墓場」または「航海の難所」を意味する』らしい。 縁起でもない名前である。
さて我々は乗り換えのために4時間程ここで時間をつぶさなくてはならない。
既に外人だらけなので、ここでも異国気分であり、空港内をうろうろしてみるがやはり時間が余る。
予め調べておいた所では、オランダは短期はビザがいらないので、ちょっと外にでてオランダを見物することも可能である。 でも、慣れない土地で何かあったら時間的に微妙なので、おとなしく空港で時間をつぶしていた方が良いだろう。
しかし、俺の情報を聞いたTとNは、「空港から出てみてぇ」と言い出した。 余計なことを教えるのではなかった。
「君らはタダでさえトラブルを引き起こすのでやめたまえ」と止めたのだが、まだ元気いっぱいの二人は出て行ってしまった。 やつらはマラソンでも最初にダッシュして後でバテるタイプに違いない。
俺は、「問題が起こったら、最悪あいつらを置いて行って、せめてエジプト土産話しでもしてやろう」とやはり行くのはやめておく。
しょうがないので荷物番をしながら時間をつぶすと、しばらくして二人が帰ってきた。
話を聞くと、空港の出入りは本当に簡単らしい。 でも、生来の臆病がでたらしく、ちょっと外へでて、写真を一枚撮ってダッシュで逃げ帰ってきた模様。 何も問題が無かったのは良かったが、それはそれでチト残念だ。
—
19時40分に予定通りスキポール空港を発つ。
再び6時間ほど機内で過ごし、1:15にエジプトのカイロ空港着する。
エジプトの通貨
通過の単位はエジプト・ポンド(LE)と、ピアストル(PT)。
1LE=100PT、1LE=約30円。(2002年5月)
コインはほとんど流通していない。
日常よく使用されるのはLE5、LE1の小額紙幣。アラビア数字だけでなく算用数字も併記されているので、日本人でも平気。
紙幣の種類
LE:100/50/20/10/5/1
PT:50/25/10/5
コインの種類
PT25/20/10/5 |
とりあえずビザ代とか必要なので、すぐに両替へに直行し、エジプトの通貨LE(エジプトポンド)をゲット。 特に難しくない。 しっかし、すげぇ札が汚い。 臭いもクサイぞ。
次に、ここでビザ($15)の取得をしなくてはならない。 エジプト旅行では、予め日本で取得するよりも、エジプトに来てからここで取得するのが一般的らしい。
そこで3人の6つの目を駆使し、周りを横目でチラチラ眺め、6つの耳で日本語での会話を探すなど、スマートに事を運ぼうとする。 しかし何処でやるのか良くわからん。 みんな旅行会社に依頼してあるのか、そのまま入国審査の所に並んでいるのである。 入国審査の所で金を払うのだろうか?
「まあ、Tでも先に行かせてみるか。」
とTを押しやり列に加わる。
すると、途中で声をかけられた。この人は本日の空港からホテルへの送迎を頼んだ旅行会社、エレガントボヤージの手配した送迎案内人らしい。エジプトではこういった人でも入国検査の手前まで入れるのだな。
案内人はスーツで髪型もビシッときめて清潔感溢れる感じである。喋りは英語だ。
とりあえず、T、Nの英語ップリを確認するため様子をうかがうと、
「オー、 オーイェー、おーいぇー? サンキュー」
と、何処ぞのインドで見たような会話ップリである。 デジャヴ? Nは案内人の話を聞きながら、相づちを打つ程度だ。 なんかやっぱり、こいつらの英語ダメっぽい。
本日は車での送迎(案内人付き)は頼んであるのだが、ビザの取得などの雑事は頼んでいない。
何故ならエジプトに来たら、自分たちで出来ることはなるべくやりたいし、手数料をケチるためだ。
彼は俺達が列に並んでいるので、「ビザはとれたんですね?」って確認をしていたようなのだが、俺達からは珍妙な回答しか帰って来ないので、ラチが明かないと思ったのだろう。 「パスポートや、申請用紙を見せてください」と言うので、3人分渡す。
受け取るとサラッと眺めて、なにやら足り名そうな部分を書き込み、俺達が来た方向に消えていった。
ビザの取得はもっと奥の方でやるんだったのだろうか?
「あー、あの人が偽物だったら、俺達の旅もここで終わりだなぁ」
と、また何処ぞのインドで聞いたような台詞だな。 デジャヴ? 前世の記憶か?
でもしばらくしてちゃんと戻ってきてビザを渡してくれた。 なんか本来依頼して手数料を払う物だったのに、なんか申し訳ない事だ。
入国審査自体は特別何も聞かれず無事通過し、ホテルまで車で送ってもらう事になる。
本日の宿であるコンコルドホテルまでは車で約30分ほどである。 空港から市内へは高速道路がある。
途中案内人の方は色々話しかけてくるのだが、俺達の英語の通じなさっぷりに困惑の色が見える。 しかし、出来るだけもてなそうと、
「そこに見えるのが大学で、いま・・・」
「ここは10月6日橋で、・・・・」
と一生懸命丁寧に話しをしてくれる。
でも俺達は、
「カレッジ? おー、カレッジ、カレッジ。 イェーイ。」
「ブリッジ? おー、ブリーッジ。 グレート。」
と、知っている単語に馬鹿っぽく反応するだけで、実はほとんどわかっていないのである。
英語だけでなく、エジプトの歴史とかも殆ど知らないので、この橋についても、どんないわれがあるのかわからん。 案内人の方も恐らくそれに気が付いているので苦笑いである。
コンコルドホテルに到着。 チェックインなどの手続きをしてもらい、案内人と分かれる。
このホテルは三つ星(?)なだけあって、とても綺麗である。 ガイドブックで描かれるエジプトのホテルとはかけ離れて綺麗。 冷房もついているし、日本のビジネスホテル的な雰囲気がある。
今後の宿泊はあまり高くないホテルを自力で手配する事になるので、恐らくこのホテルが一番良いホテルになると思われる。
窓から外を眺めてみるが、既に暗くてなんだか良くわからない。 まぁ楽しみは明日にとっておこう。
とりあえず寝る前に、明日の為の打ち合わせをしておく。
支払いなどがある時は、割り勘などめんどくさいので共通財布を作り、支払いはそれを持った奴が行う事に決める。
まずは、一人300LEづつだし、初日はTがもつ事に。
各々シャワーを浴びるなど適度にくつろぐと、時は既に2時を過ぎている。 明日は7:30出発予定なので、今日の所はもう寝ることにする。
いよいよ明日はエジプト観光。 楽しみである。
—
4月 28 2002
2002年04月28日(日) エジプト旅行(第二回):デジャヴ?
旅立ちの朝は早く、朝の5時頃には荷物まとめて家を出る。
Tとは同じスカイライナーのチケットを購入しているので、日暮里にて合流する。
しかし、なんか落ち込んでいるので聞いてみると、「クレジットカード持ってくるの忘れた」とか。
いきなり忘れ物をした事により旅の不安を覚えたようである。
空港第二ターミナルに到着。 すると満面の笑みでNに迎えられる。
なんでそんなに喜んでいるのか聞くと、「携帯電話を忘れた」とか。
集合は空港で連絡を取り合うつもりで適当にきめていたので、俺達と合流出来るのか不安でたまらなかったらしい。
予め俺達が乗るスカイライナーは告げておいたので、それを頼りに俺らの到着を待ちわびていたらしいのだが、自分の記憶力に自信が無く絶望のズンドコにいたようである。
「携帯はなくてもエジプトで困らないが、クレジットカードがないとお金に困る。 俺の方がまし。」
「いや、俺は最低でも$800+15,000円の現金を持っている。 少なくとも今のところは俺の方がまし。」
と、どうでも良い事で二人で優越を競っている。 こいつらが旅のツレで良かったのだろうか?
チケット受け取りのためすこぶる早い時間にチェックインしてしまったが、出発まで何もする事が無いので、適当な所に三人座って口を開けながらボーっと時が過ぎるのを待ち、AM10:25にKLMオランダ航空の飛行機で成田を離れる。
これからオランダのアムステルダムのスキポール空港まで12時間、そこから更に6時間弱かけてエジプトのカイロに向かうことになる。 俺達の長い旅は始まったばかりさ。
飛行機の席は3人並んだ席で、Tは何処でも良いと言いながら一番奥に座る。
うむ、それにしてもいつものことだが狭い。 特に食事中なんて肘から先しか動かせぬ。 インナーマッスルのトレーニングのようだ。
そんな食事まっただ中に、Tが便所に行きたいと言い出す。
「飯が終わるまで我慢しやがれ。」
「いや、我慢した結果が今だ。 勘弁してくれ。」
と辛抱堪らん表情を見せるのでNと二人で渋々席を立ち、「今後は奴を奥に座らせるのはやめよう」と示し合わす。
それにしても12時間は暇である。 本でも読もうと、Nに例の赤い本を貸してくれて言うと持ってきてないとか。
あの本は、エジプトでの現地人とのやりとりといった、泥臭い情報があるので、一通り目を通したかったのだがな。
Nは一通り読んだのか聞いてみると、
エジプトがすきだから。 50ページより
「『エジプトの便所にはたいていウォシュレットが付いている』らしい。
で、その水が出る部分に『まれにウンコが刺さっている』と言う情報がイラスト付きで載っていて、そのインパクトが強すぎて他をあまり覚えていない。」
と、本当にクソの役にも立たない情報しか頭に入っていない様子である。 意味ねーな。
しょうがないので寝たり転けたりしながらダラダラ時を過ごす。
—
15時過ぎ、オランダのアムステルダムにあるスキポール空港に到着。
このスキポールと言う名前だが、その語源をそのまま翻訳すれば『「船の墓場」または「航海の難所」を意味する』らしい。 縁起でもない名前である。
さて我々は乗り換えのために4時間程ここで時間をつぶさなくてはならない。
既に外人だらけなので、ここでも異国気分であり、空港内をうろうろしてみるがやはり時間が余る。
予め調べておいた所では、オランダは短期はビザがいらないので、ちょっと外にでてオランダを見物することも可能である。 でも、慣れない土地で何かあったら時間的に微妙なので、おとなしく空港で時間をつぶしていた方が良いだろう。
しかし、俺の情報を聞いたTとNは、「空港から出てみてぇ」と言い出した。 余計なことを教えるのではなかった。
「君らはタダでさえトラブルを引き起こすのでやめたまえ」と止めたのだが、まだ元気いっぱいの二人は出て行ってしまった。 やつらはマラソンでも最初にダッシュして後でバテるタイプに違いない。
俺は、「問題が起こったら、最悪あいつらを置いて行って、せめてエジプト土産話しでもしてやろう」とやはり行くのはやめておく。
しょうがないので荷物番をしながら時間をつぶすと、しばらくして二人が帰ってきた。
話を聞くと、空港の出入りは本当に簡単らしい。 でも、生来の臆病がでたらしく、ちょっと外へでて、写真を一枚撮ってダッシュで逃げ帰ってきた模様。 何も問題が無かったのは良かったが、それはそれでチト残念だ。
—
19時40分に予定通りスキポール空港を発つ。
再び6時間ほど機内で過ごし、1:15にエジプトのカイロ空港着する。
通過の単位はエジプト・ポンド(LE)と、ピアストル(PT)。
1LE=100PT、1LE=約30円。(2002年5月)
コインはほとんど流通していない。
日常よく使用されるのはLE5、LE1の小額紙幣。アラビア数字だけでなく算用数字も併記されているので、日本人でも平気。
紙幣の種類
LE:100/50/20/10/5/1
PT:50/25/10/5
コインの種類
PT25/20/10/5
とりあえずビザ代とか必要なので、すぐに両替へに直行し、エジプトの通貨LE(エジプトポンド)をゲット。 特に難しくない。 しっかし、すげぇ札が汚い。 臭いもクサイぞ。
次に、ここでビザ($15)の取得をしなくてはならない。 エジプト旅行では、予め日本で取得するよりも、エジプトに来てからここで取得するのが一般的らしい。
そこで3人の6つの目を駆使し、周りを横目でチラチラ眺め、6つの耳で日本語での会話を探すなど、スマートに事を運ぼうとする。 しかし何処でやるのか良くわからん。 みんな旅行会社に依頼してあるのか、そのまま入国審査の所に並んでいるのである。 入国審査の所で金を払うのだろうか?
「まあ、Tでも先に行かせてみるか。」
とTを押しやり列に加わる。
すると、途中で声をかけられた。この人は本日の空港からホテルへの送迎を頼んだ旅行会社、エレガントボヤージの手配した送迎案内人らしい。エジプトではこういった人でも入国検査の手前まで入れるのだな。
案内人はスーツで髪型もビシッときめて清潔感溢れる感じである。喋りは英語だ。
とりあえず、T、Nの英語ップリを確認するため様子をうかがうと、
「オー、 オーイェー、おーいぇー? サンキュー」
と、何処ぞのインドで見たような会話ップリである。 デジャヴ? Nは案内人の話を聞きながら、相づちを打つ程度だ。 なんかやっぱり、こいつらの英語ダメっぽい。
本日は車での送迎(案内人付き)は頼んであるのだが、ビザの取得などの雑事は頼んでいない。
何故ならエジプトに来たら、自分たちで出来ることはなるべくやりたいし、手数料をケチるためだ。
彼は俺達が列に並んでいるので、「ビザはとれたんですね?」って確認をしていたようなのだが、俺達からは珍妙な回答しか帰って来ないので、ラチが明かないと思ったのだろう。 「パスポートや、申請用紙を見せてください」と言うので、3人分渡す。
受け取るとサラッと眺めて、なにやら足り名そうな部分を書き込み、俺達が来た方向に消えていった。
ビザの取得はもっと奥の方でやるんだったのだろうか?
「あー、あの人が偽物だったら、俺達の旅もここで終わりだなぁ」
と、また何処ぞのインドで聞いたような台詞だな。 デジャヴ? 前世の記憶か?
でもしばらくしてちゃんと戻ってきてビザを渡してくれた。 なんか本来依頼して手数料を払う物だったのに、なんか申し訳ない事だ。
入国審査自体は特別何も聞かれず無事通過し、ホテルまで車で送ってもらう事になる。
本日の宿であるコンコルドホテルまでは車で約30分ほどである。 空港から市内へは高速道路がある。
途中案内人の方は色々話しかけてくるのだが、俺達の英語の通じなさっぷりに困惑の色が見える。 しかし、出来るだけもてなそうと、
「そこに見えるのが大学で、いま・・・」
「ここは10月6日橋で、・・・・」
と一生懸命丁寧に話しをしてくれる。
でも俺達は、
「カレッジ? おー、カレッジ、カレッジ。 イェーイ。」
「ブリッジ? おー、ブリーッジ。 グレート。」
と、知っている単語に馬鹿っぽく反応するだけで、実はほとんどわかっていないのである。
英語だけでなく、エジプトの歴史とかも殆ど知らないので、この橋についても、どんないわれがあるのかわからん。 案内人の方も恐らくそれに気が付いているので苦笑いである。
コンコルドホテルに到着。 チェックインなどの手続きをしてもらい、案内人と分かれる。
このホテルは三つ星(?)なだけあって、とても綺麗である。 ガイドブックで描かれるエジプトのホテルとはかけ離れて綺麗。 冷房もついているし、日本のビジネスホテル的な雰囲気がある。
今後の宿泊はあまり高くないホテルを自力で手配する事になるので、恐らくこのホテルが一番良いホテルになると思われる。
窓から外を眺めてみるが、既に暗くてなんだか良くわからない。 まぁ楽しみは明日にとっておこう。
とりあえず寝る前に、明日の為の打ち合わせをしておく。
支払いなどがある時は、割り勘などめんどくさいので共通財布を作り、支払いはそれを持った奴が行う事に決める。
まずは、一人300LEづつだし、初日はTがもつ事に。
各々シャワーを浴びるなど適度にくつろぐと、時は既に2時を過ぎている。 明日は7:30出発予定なので、今日の所はもう寝ることにする。
いよいよ明日はエジプト観光。 楽しみである。
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By 俺様 • 2002年 トレンディエジプト旅行 • 0