2009年05月03日(日) パタンに行ったり | ネパール旅行(9)

 

昨日早く寝すぎたせいか、6時頃に目がスッキリ覚めてしまった。
二度寝もできなかったし、こんな早い時間ではする事もないので、取り敢えず昨日断念したパタンへ行くことにする。

ネパールの都と言えば、カトマンドゥであるが、カトマンドゥはマッラの3王国と言われた内の1つである。
残りの2つは、パタンとバクタブルで、それぞれが同時期の別の王国の都である。ダルバール広場(宮廷)広場もそれぞれあるし、クマリだってそれぞれにいるらしいし、また都の趣もそれぞれ異なる。…なんて事を、ネパールに来てから知った。

元々時間があればそれぞれの都を一泊ずつでもしようかと思っていたのだが、パタンもバクタブルもカトマンドゥからの当日移動でも可能な距離にある様だ。

昨日はバスが見つけられなかったので、豪儀にタクシーを使って移動する事にした。

今日の天気は出発時から雷がゴロゴロ鳴っていたが、これまでもゴロゴロ鳴るだけで雨が降ったりしなかったので、あまり気にせず出発した。
しかし、パタンに着く頃には結構強めの雨が降り出してしまった。そんでもって、朝が早い事もあってかとても寒く、薄着できてしまった事を激しく後悔。
雨宿りをしながらも、ダルバール広場を観光したが、薄暗いし時間もまだ7時だからか活気もなく、なんか楽しめない。

それより寒くて寒くて仕方が無く、早々に撤退する事にした。
パタンは「美の都」という別名を持つほど、芸術的な街らしいのだが、寒さの前ではそれどころではない。

                   パタンのダルバール広場

パタンのダルバール広場

クリシュナ寺院

クリシュナ寺院

帰りのタクシーを拾おうとしていたところ、見知らぬオヤジに

 「観光客か?ゴールデンテンプルはこっちだ」

と無理矢理連れて行かれたが、ゴールデンテンプルの観光もそこそこに、カトマンドゥまで引き返した。

ダルバール広場

ダルバール広場

                   サタデーナイト・フィーバー

サタデーナイト・フィーバー

                   ゴールデン・テンプルの入り口は非ゴールデン

ゴールデン・テンプルの入り口は非ゴールデン

                   本堂はゴールデン

本堂はゴールデン

俺の中ではパタンというと、「薄暗くて寒い」と言う印象になってしまったな。


宿に戻って暫くすると、いつものように晴れて暖かい、と言うか暑い気温になった。この天気と気温なら、落ち着いてパタンを見学したい気分である。
こうなったら、もう一つのバクタプルに行こうかと思ったが、まずは昼飯を食って落ち着いて考える事にした。また、チトワンで会った、シュリヤにあいにいく事にした。昨日までも何度かシュリヤのオフィスに顔を出したのだが、まだ先日のガイドが終わっていないため、戻っておらず、会えずじまいだったのだが、本日ようやっと会うことが出来た。

                   トゥクパ(チベット料理)

トゥクパ(チベット料理)

                   シュリヤ

シュリヤ

シュリヤはDream Discovery Treksと言うツーリストガイドの会社に勤めていると言っていたが、むしろ彼が経営者らしい。今朝パタンに行き、今日はバクタプルに行こうかと悩んでいると話すと、彼は昨日までガイドでバクタプルに泊まっていたとの事で、やっぱりお勧めだとの事だ。そして、「車で連れて行ってあげよう(ガイド料も不要)」、とまで言ってくれたのだが、なんか彼の仕事の邪魔をするのも気が引けるし、パタンの寒さに懲りていてバクタプルに行く気が無くなっていた事もあり、それは辞退する事にした。

しばし、彼のオフィスで、チャイを頂きながら、話をしてのんびり過ごす。その後、彼のカトマンドゥの見所のアドバイスを貰って、現王宮に行くことにして、オフィスを後にした。

それにしても、シュリヤに言われるまで、現王宮に行くと言う発想がなかった。と言うか、ガイドブックに取り上げられていなかったのである。よく考えると、ネパールは、一年前に王制が廃止されたのであり、王宮が開放されたのはつい最近である。俺のガイドブックは07~08年であったので、観光場所として紹介されていなかったのであるな。そう言う意味では、そこも”現王宮”ではなく、旧王宮と言えるな。

現王宮(内部は写真撮影禁止)

現王宮(内部は写真撮影禁止)

王宮内は写真撮影は禁止で、入り口でカメラを預けての入場である。入場料は外国人は500Rs。

王宮の内部は、ネパール色は感じられず、近代的な王宮って感じである。日本との交流も盛んに見受けられる宝物も沢山展示されていた。

王宮を出ると、次はボダナートに向かう事にした。

道でタクシーを拾ったのだが、タクシーの運転手の知人が先に乗っていて、行き先が同じ方だと言うことで、相乗りになってしまった。
ボダナートまでの道は、ごみごみして所々封鎖されたり渋滞したりしていた。何やら内容は解らなかったが、今の時期の問題でストやらが行われているようである。ポカラからチトワンに向かった時のバスを思い出すが、検問のような物はなかった。
しかし、そのうち渋滞で完全に車が進めなくなってしまって、タクシーの運転手も「ここからは歩いて行った方が良いのでは?」と言っているのだが、現在地も良く解らないし、進むべき道がわからないしと、困ってしまう。
ただ、相乗りだったおじさんも、行き先が同じで、ここから歩いて行くので一緒に歩いていくことにした。道はごみごみしており、やはり1人では難しく思えたが、これは恐らくおじさんが道を熟知しているので、細い道を使ったりしているからかもしれない。
おじさんは、なぜか少し日本語を話せたりしたので、会話は楽しく退屈しなかったが、ボダナートまでは結構な距離だった。タクシーは半分ぐらいまでしか来れてなかったな。

                   巨大なストゥーパがあるのだが、                   入り口は知らないと通りすぎてしまいそうだ

巨大なストゥーパがあるのだが、
入り口は知らないと通りすぎてしまいそうだ

                   ボダナートのストゥーパの目つきは少し親しみやすい。

ボダナートのストゥーパの目つきは少し親しみやすい。

ボダナートのストゥーパはこれまでで一番大きかった。それもそのはず、ネパールで最大らしく、ネパール到着初日の国内線の飛行機から見えたのも、位置的にここに違いない。

ボダナートのストゥーパは、これ自体が曼荼羅の造形をなしている。宇宙やら仏教の教えを具現化した作りらしい。
例によって、周りはぐるっとマニ車配置され、巡礼者がグルグル回しながら、ストゥーパをグルグル回っているので、俺もグルグル回しながら、グルグル回る。
マニ車の回す向きは、先日はハンディマニ車で間違えたが、ストゥーパの周りのマニ車は、ストゥーパを回る方向からして、自然に時計回りになるので間違える心配はない。
また、そのストゥーパを回る方向に関してガイドブックには、「必ず時計回りに回ること」とあるが、そんなこと言われなくても、この巡礼派の流れに逆らうアナーキーな行動は取れまい。

それにしても、周りの土産物から流れてくる、謎の音楽がエンドレスで耳に残る。他の所では耳にしないのだが、ここでは多くの店がこの音楽を流している。ボダナートのテーマと名付ける事にする。

 

終いには、「おんまにおだらぁ、おんまにおべぼぉ、おんまにおだらぁ、おんまにおべぼぉ♪」と口ずさんでいる自分に気付いた。

うぅ、夢に出そうだ。

ボダナートを出ると、次はパシュパティナートへタクシーで向かう。
今回のパシュパティナートは、ヒンドゥー教の寺院である。
その為、一気にインド色が濃くなり、ガイドやら物売りやらがパワーアップし、もうミニインドと言っても過言ではない。

                   多分、ラジュラジェワリ寺院

多分、ラジュラジェワリ寺院

                   ヒンドゥー教と言えば、                   リンガ(チンチン)ですな

ヒンドゥー教と言えば、リンガ(チンチン)ですな

ここの寺院の麓の川は、バグマティ川と言い、、ガンジス川の支流である。その為、ガンジス川と同じ扱いで、火葬場(ガート)もあり、灰もこのバグマティ川に流される。

なお、パシュパティナートの本殿は、ヒンドゥー教以外は立ち入り禁止であるので、その他のヴィシュワループ寺院やら、グヘシュワリ寺院などをブラブラ観光する。
夕方になると、なにかイベントが始まった。地元の人も結構集まっている。毎日やっているのか、教は何かでたまたまなのかは不明だ。

なんの儀式か分からないもものの、折角なので最後まで見ていたら、20時ちかくになり、あたりも真っ暗になってしまった。
タクシーを拾って帰ろうかと思ったら、全然見つからぬ。変なところがインドっぽくないぜ。

                   何かイベントが始まった。

何かイベントが始まった。

そこでウロウロしていたら、ここに到着時に色々話をした、自称ガイドの青年に声を掛けられた。彼によると、ここではこんな時間まで外人がいることも希なので、タクシーも客待ちしてないらしい。どうも、このイベントは、地元のヒンドゥー教徒の為のものだったのだな。そこで、彼のバイクに乗せてもらい宿へ向かった。

宿の近くで、夕食にチベット料理のタントゥクを食べ、本日の観光は終了。

                   タントゥク

タントゥク