昨日の催眠効果が効いたのか、いつも旅行先では目が覚めるのが早いのだが、10時頃まで目が覚めなかった。
宿で朝食を済ませ、宿や土産屋が集中している、プラウィロタマン地区へ向かってみる。その途中ブディさんに会った。何か用を済ませて宿に戻る所だったらしい。プラウィロタマン地区に向かう途中だと言ったら、案内してくれるとの事で、まずはバティック工房に行く。

まるで、画商の様なお店である。と言っても、画商のお店ってどんなのか良くしらないがこんな感じだろうというイメージ。
ろうけつ染めと言う手間を掛けてここまでのデザインを作るのは大変だと思う。インドネシアの伝統の図柄とかもあり、眺めているのは中々楽しかった。アンディのデザインも多く売れっ子と思われるが、未だに昨日の人が本当にアンディなのか疑っている俺だ。
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その後、ブディさんのバイクで東の方にある、昔の王宮へ向かう。どうもこの辺りには、いろんな所に昔の王宮があるようだ。その王宮に入るには、正装しなければ入れて貰えないらしい。
その他、この辺りには古いモスクだったり、造りの古い建物が色々並んでいた。


ブディさん

布をこういう形で頭に巻くのかと思ったら、この形の帽子の様になっていた。


近くの屋台で、ブディさんお勧めのスイーツ(タイのロチョンっぽいもの)を食べた後、ブディさんが日本の観光客と約束があるらしいので、いったん宿に向かう事にする。
宿の近くに、中国の屋台の様なお店が最近出来てお勧めとの事なので、そこで昼食はすませた。
宿では2人の日本人女性がおり、ブディさんと待ち合わせていたのは、この人達らしい。
1人はそのままブディさんとプランバナンへ向かった。もう一人は、夕方のフライトでジャカルタへ向かうらしく、それまで暇だというので、一緒にプラウィロタマン地区を散歩したり、シルバーアクセサリーの店に行って、工房を眺めたりした。
シルバーアクセサリーの店は行く来はなかったのだが、ベチャドライバーが、「ぶっちゃけ、あんた等を連れて行くだけでお店から手数料がもらえるんだ。そのかわり往復でRP.2000で良いから。」と言うのでそれに乗ったのだが、帰りの途中で腹痛を訴えだした。俺は殆ど到着してるし、病気なら仕方ないと思ったのだが、つれの方は「あれは絶対仮病よね」と疑っていた。RP.2,0000に値切ったのも彼女なのだが、旅の女性は逞しいのう。

ジャカルタへ向かうのを見送ったのち、近くの屋台でアヤン・ゴレンを喰う。帰りがけに、夜食にと屋台でポテトチップスみたいな物と、パンケーキのようなロッティバガンを入手して、ホテルの食堂で休憩。
すると入り口の方から誰か入ってきて、俺を見て「おや?あんたは。」というのでよく見たら、昨日のガムラン奏者(自称)だった。別の用で偶々来たらしいのだが、良く俺の顔を覚えてたな。
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5月 7 2010
2010年05月07日(金) | インドネシア旅行日記(6)
昨日の催眠効果が効いたのか、いつも旅行先では目が覚めるのが早いのだが、10時頃まで目が覚めなかった。
宿で朝食を済ませ、宿や土産屋が集中している、プラウィロタマン地区へ向かってみる。その途中ブディさんに会った。何か用を済ませて宿に戻る所だったらしい。プラウィロタマン地区に向かう途中だと言ったら、案内してくれるとの事で、まずはバティック工房に行く。
まるで、画商の様なお店である。と言っても、画商のお店ってどんなのか良くしらないがこんな感じだろうというイメージ。
ろうけつ染めと言う手間を掛けてここまでのデザインを作るのは大変だと思う。インドネシアの伝統の図柄とかもあり、眺めているのは中々楽しかった。アンディのデザインも多く売れっ子と思われるが、未だに昨日の人が本当にアンディなのか疑っている俺だ。
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その後、ブディさんのバイクで東の方にある、昔の王宮へ向かう。どうもこの辺りには、いろんな所に昔の王宮があるようだ。その王宮に入るには、正装しなければ入れて貰えないらしい。
その他、この辺りには古いモスクだったり、造りの古い建物が色々並んでいた。
ブディさん
布をこういう形で頭に巻くのかと思ったら、この形の帽子の様になっていた。
近くの屋台で、ブディさんお勧めのスイーツ(タイのロチョンっぽいもの)を食べた後、ブディさんが日本の観光客と約束があるらしいので、いったん宿に向かう事にする。
宿の近くに、中国の屋台の様なお店が最近出来てお勧めとの事なので、そこで昼食はすませた。
宿では2人の日本人女性がおり、ブディさんと待ち合わせていたのは、この人達らしい。
1人はそのままブディさんとプランバナンへ向かった。もう一人は、夕方のフライトでジャカルタへ向かうらしく、それまで暇だというので、一緒にプラウィロタマン地区を散歩したり、シルバーアクセサリーの店に行って、工房を眺めたりした。
シルバーアクセサリーの店は行く来はなかったのだが、ベチャドライバーが、「ぶっちゃけ、あんた等を連れて行くだけでお店から手数料がもらえるんだ。そのかわり往復でRP.2000で良いから。」と言うのでそれに乗ったのだが、帰りの途中で腹痛を訴えだした。俺は殆ど到着してるし、病気なら仕方ないと思ったのだが、つれの方は「あれは絶対仮病よね」と疑っていた。RP.2,0000に値切ったのも彼女なのだが、旅の女性は逞しいのう。
ジャカルタへ向かうのを見送ったのち、近くの屋台でアヤン・ゴレンを喰う。帰りがけに、夜食にと屋台でポテトチップスみたいな物と、パンケーキのようなロッティバガンを入手して、ホテルの食堂で休憩。
すると入り口の方から誰か入ってきて、俺を見て「おや?あんたは。」というのでよく見たら、昨日のガムラン奏者(自称)だった。別の用で偶々来たらしいのだが、良く俺の顔を覚えてたな。
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By 俺様 • 2010年 インドネシア旅行日記 • 0