2010年05月06日(木) | インドネシア旅行日記(5)

 

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今日はヘンドロがバイクで市街を案内してくれると言う。

まずは彼の用事がいくつかあるのでそれに付き合う。先ずは、テコンドーを教えている小学校に用事があるとの事でついて行ってみると、その小学校は俺の宿の直ぐ横にあった。
今は授業の時間なのか校舎の外には生徒の姿などは見えず、扉も閉まっているので授業風景なども目にすることは出来なくて残念。
なぜか掲示板に、禁煙のポスターが沢山貼られているのが気になるが、建物は小学校にだけ使われている訳ではないのかも知れない。

学校を出ると、次はヘンドロの知人のスポーツ用品屋へ向かう。店の名前は「KENJI」と言う、他人とは思え無いような店名である。
店主の名前はケンジではなく、インドネシアの華僑。インドネシアのテコンドー協会の中でもハイクラスであり、インターナショナルコーチでもあり、他の島等へも良く指導に行くとか。

「昔日本で極真空手を習った事があるよ。」と言うので、「もしかして、極真の緑健児?」と聞くと、「そうなんだよ!私は一度お会いしただけだけど今でも尊敬していて、店の名前も先生からつけたんだよ。」との事である。店名の謎が解明した。

「君もなんかやっているのか?中国の物か。じゃあ、丁度良いのでこれをあげよう。」と「龍虎山功夫」と書かれた真っ赤なTシャツを貰った。その文字はお店のオリジナルではなく、注文をうけた他の団体の物っぽいのだが、記念なら彼らのテコンドー団体のものをお願いすれば良かったかもしれん。
工場内を見学させて貰ったり、世間話をしたりする。その中で、「あなたは華僑(中国)なのにインドネシアでテコンドー(韓国)の先生で、空手(日本)もやってたと多彩ですね。シラット(インドネシア)は習わなかったのですか?」と聞くと、「シラットは伝統的で、老先生達があまり簡単に教えようとしないのだよ。なのでインドネシアでも少なくなってきている。昔の中国武術みたいだろ?」と言っていた。やはり、シラットは興味本位で見学と言う訳には行かなそうであるな。

お店を後にして飯を食い、その後どこに行くか話をする。
当初ヘンドロは行くなら、市街からチョット離れているが南の海辺と考えていたようだ。ジャワ島は海も綺麗で、海には~それは~それは~綺麗な~女神様が~いるんやで~、とのことだ。その女神とはニャイ・ロロ・キドゥルと言って、ジョグジャカルタ王家とこの女神は婚姻関係にあるとされ、スピリチュアルな第1夫人がこの女神と定められているのだ。なんか、この神と人との婚姻関係なんて神話っぽい儀式が今でも残っているって素敵やん。ちなみにこの女神は緑色大好きであり、緑の服を着て海に行くと海に引き込まれて死んでしまうと言われている。
んだが、男2人で海に行っても…的な話になり、国立芸術大学や、ソノブヨド博物館などを巡りながら、市街をブラブラ観光した。

その後、タマン・サリに送ってもいそこでヘンドロとは分かれた。
彼はわざわざ俺の為にヘルメットを新調してくれたり、大変お世話になってしまった。普通の観光では叶わない物を色々体験させて貰えて有り難かった。食事に関してもこちらが払うと行っても、頑なに自分が払うと断って奢ってくれたし、タクシーにぼられないように注意点を教えてくれたりと、至れり尽くせりでなんか申し訳なく思うぐらいだったな。

タマン・サリ(Taman Sari)はウォーター・パレス(水の宮殿)とも呼ばれており、スルタン(王様)のプール付き別荘である。入り口でガイドもどきが付いて、ずっと案内してくれるのだが、これが正規のガイドかどうか良く解らないし、のんびり眺めたいのでガイドは不要と断ったのだが、結局最後まで案内されてしまった。

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見所はプールのある庭と、それを眺める小窓のある部屋だが、奥の方には王様が瞑想につかった部屋や寝室、その他、地下水路なども残っている。ただ、これは完全に廃れていて、飾りなど残っておらず過去の遺跡であった。

タマン・サリを後にして、王宮の方へ向かってブラブラ散歩。しかし、王宮の入り口が解らず、ちょっと疲れて木陰で休んでいたら、自分はガムラン奏者だと言う、おじさんが話しかけてきた。
「入り口はこっちじゃないぞ。ここまで来たなら、先にそこのワヤン・クリッ(影絵芝居)の人形工房を見学していけば?」と言われ、それに従う。

ワヤン・クリッは、今日の夜にでも観に行こうと思っていたのだが、この人形はてっきり、木の皮で作られているかと思っていたのだが、牛の皮を薄くなめして、細いノミと石鎚でコツコツと削って、細かく穴を穿っていくようだ。Youtube(自動再生&音有)

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ワヤン・クリッは影絵なのだが、人形自体には色彩豊かな色づけがされている。その為、飾りとしても綺麗なので、お土産としても人気がある。

工房を後にすると、先のガムラン奏者のおっさんが、自分の家に来いと言うので付いていったところ、その家は小さいがバティックの小売店になっていた。ハメられたか。
バティックはろうけつ染めの布地の事で、インドネシアのここジャワでは特に有名で、「ジャワ更紗」と呼ばれたりする。恐らく元々は実用的に腰に巻いたりするものは色々な模様のデザインなのだが、飾る目的でも作られており、絵画のようなものもある。値段は大きさと言うより、作家に寄るところが大きいらしい。
ここにある物のなかで、他の店でもよく見かけた、ジョジョのボインゴの予言の書みたいなデザインがあり、アンディという署名が入っていた。後で、裏で制作現場を観に行ったら、半裸のおじさんが作業をしており、本当か嘘か、その人がアンディとの事だ。

アンディのデザイン

アンディのデザイン

おっさん曰く、バティックは自分の母親が主に作っていて、王宮にも卸している、同じ物を王宮に行って買ったら、数倍するぞとの事である。そのうち、その母親も出てきたのだが、おっさんと共に、中々に商売っ気の多いご老人であり、2人に立ち向かっていたら大変疲れた。
なお、このお店は路地の込み入った所にあり、間違っても自然に観光客が来るような所にはないので、基本は王宮などに卸して、あとは今日のように旅行者を連れて来て商売しているらしい。

宿で一休みした後は夕食に、ジャワ島中部の名物料理グドゥッを食べに出掛ける。
この料理はナンカ(と言う名前。一般的にはジャックフルーツ)を細かく刻み、鶏肉、卵、タピオカの葉、たけのこ、豆腐などを一緒に煮込んだものだ。味としてはなんか微妙であり、不味くは無いが、美味くもないと言う感じ。
飲み物には、何かインドネシアの物をと頼んだら、お茶っぽいものが出てきた。生姜?味の氷砂糖の様な物がカップに入っており、これにお茶をかけて飲む様なのだが、ちょっと甘過ぎる。、飲み方が違ったんだろうか。

グドゥッ

グドゥッ

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食事を済ませ、ソノブドヨ博物館にワヤン・クリッを観に向かう。
ワヤン・クリッは何度も言うが影絵である。しかし、人形にも彩色が施されているし、配置されている席を見ても、どちらにもイスが用意されている。博物館の人にどっちで見ればよいのか聞いても、「どっちでも好きな方にどうぞ」、と言われてしまう。
既に観客がおり、みんな人形側に座っているので、俺もこちらで開始を待っていたのだが、影絵側を見ると、こっちはパイプイスなのだが、影絵側はゴージャスなイスが用意されていた。そっちの方が居心地が良さそうだし、誰も座ってないのでくつろげると思い、そっちに移動してみる。すると、先にパイプイスに座っていた人達がゾロゾロと1人残らず付いてきてしまった。みんな、同じような悩みを抱えていたようだな。

待つことしばし、パペット奏者やガムラン奏者等があつまり、影絵が始まった。

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人形劇は薄暗い中、ゆったりとした音楽が流れ、眠りに落ちるのに最適である。現地の人もこれを見ながら居眠りをするらしいし、不眠症の人にはお勧めしたい。
観客は最初はおとなしく影絵側で見ていたが、少しすると、裏に行ったり、表に行ったり、横から見たり、帰ったりと自由である。

一応、最後まで見たのだが、先にこれを見に行った人が一様に「眠かった」とだけ答えるのが良く解ったぞ。
確かに眠かったが、人形側等でどうやって操作するのか等は、見ていて楽しかった。

ソノブドヨ博物館を出ると、ダンドゥというインドネシアで今流行っているというダンスを見に、THR公園に行ったのだが、普通のクラシックロックバンドが演奏しているだけだった。「ダンドゥをやっているのは、月曜だけだぜ」と、公園の入り口にいたヤケに陽気なDJに言われ、残念だが今日は帰ることにした。