3月 3 1998
魏延 | か行 | 俺様万物網羅百科事典
中国の三国時代に活躍した蜀の武将。 字は文長。(?~234:年齢不明)
みんなの嫌われ者。 ていうか、実力者である諸葛亮に嫌われたために皆に疎まれていた感じである。
「顔が気に入らない」と言う理由だけで、いきなり諸葛亮に殺されそうになる。 その場は劉備の取りなしで助かるが、その後活躍して実力は五虎大将軍に次ぐにもかかわらず相変わらずの嫌われ者。
諸葛亮はよほど魏延の顔が気に入らないのか、利用するだけしては、そのどさくさでついでに殺そうとする。 何度も殺そうとする。 終いには自分の死後に策を授けてまで殺そうとする程である。
結局その策により、謀反せざるを得ない状況まで追いやられ、「謀反したから殺す」みたいな感じで、謀反をそそのかした馬岱に切られる。
活躍をみても別段裏切り行為などもなく、どちらかというと大活躍な気がするが。 なんでこんなに嫌われていたのだろうか?
諸葛亮の延命の燭台を蹴飛ばすのも、せめてもの腹いせでわざとやったのかもしれない。
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3月 3 1998
ひでぶ | は行 | 俺様万物網羅百科事典
北斗の拳で、身体が破裂する秘孔を突かれ際に、特徴的な断末魔の叫を発する事がある。
もっとも有名なもので、その最初といわれているのが『ひでぶ』。
これは、「ひでえ」の誤植と言われていたが、作画の原哲夫が『苦心の末に』意図的に生み出した叫びである。
なお、『ひでぶ』の場合は、『痛てえ』が元になっている。
この誤植説の否定は、『文庫版 北斗の拳』の最終巻に、原哲夫自らが記している。
※追記
TV出演した原作者の武論尊により、
「『ひでぶ』は、ひでえと下書きをしていたが、アシスタントがひでぶと誤植してしまったから。」
と言う発表あり。
⇒TVその後どうなった? 北斗の拳の作者 武論尊の裏話
どうも、原作者と作画の間で意見が分かれている様子。元々の誤植説も武論尊の意見が広まったものか。
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