9月 26 2004
2004年9月26日(日) イスタンブール(トプカプ宮殿→アヤソフィア博物館→ブルーモスク)→アンカラへ向かう
午前2時前に、イスタンブールへ到着。
とりあえず現地通貨のトルコリラに換金する。 ウワサのインフレにより、トルコリラ(TL)はゼロが激しく多い。
換算レートは1円≒14,000TLである。 別に日本円の価値が激しく高い訳ではなく(有る程度は高いけど)、インフレによる結果であり、トルコ内でも後ろのゼロ4つは無視している位である。 最小通貨が、25,000TLコインだ。 ちなみにTLの下にクルシュという単位もあり、1TL=100クルシュなのだが当然使われていない。
「紛らわしいからゼロ取れよ!」と誰もが思う所だが、案の定来年あたりに新通貨になり、ゼロがいくつか取れるらしい。 トルコはEU加盟を目指しているので、実現すれば今度は通貨はユーロになるんだろうな。
この通貨がらみの話は面白い話がキリが無いほど出あるので省こう。 とりあえずこのゼロの多さは多くの旅行者を悩ますのである。 俺でも悩むぐらいなので、Nなんか旅行途中で諦めたぐらいである。
空港の出口では、明日から一緒に行動するガイドと運転手が出迎えてくれた。
ガイドは、ムスタファさん(Mustafa SAGLAM)と言って、トルコ人。 当たり前だが日本語ペラペラであるので、今回もNとの秘密会議は封じられた。 むしろNより日本語が達者かもしれず、Nに通じない事もムスタファさんに通じる可能性が高い。
この後はとりあえずイスタンブールにあるホテルへ行って朝まで休み、その後はイスタンブール市内観光である。
市内観光は、イスタンブール定番の、トプカプ宮殿→アヤソフィア博物館→ブルーモスクと言う流れ。
どれも見応えがあり、いつものように見ている内にみんな同じに見えて来て困る位である。
ちなみにトプカプ宮殿には、中国関係の宝物も展示されており、北宋の物らしき、マ・クベの壺を発見したので、Tへの土産に忘れずに写真を撮っておくことに。
あと、今日の一番の見所であろう、ブルーモスクも中から外からバッチリと見学をした。
ツアーの旅行予定を見ると、今日は他にもグランド・バザール観光も含まれている。 しかし、ムスタファさんが向かおうとしないので話を聞くと、グランド・バザールは日曜は休みらしい。 仕方なしに、ブルーモスクの前で時間を潰す事になり、ムスタファさんも俺達をもてあまし気味である。
ツアー会社もそれならそれで、日程をずらして最終日をイスタンブール観光にするとかしてくれれば良かったのにな。
とりあえず今日1日で、有る程度のムスタファさんの感じと、トルコのイメージを掴むことが出来た。
まず、最初有った時、エジプトの時のガイドのハッサンに似ていると思ったが、ガイドっぷりも似ている。 凄い真面目に、丁寧にガイドをしてくれる。 んが、俺達に全てを教え込むつもりらしく、
「えー、ここですが、さっき話したところです。 私は何と言いましたか?」
と、ちょいちょいテストしてくるところも似ている。
こういう歴史問題はTがいれば有る程度答えられそうではあるが、チョット我ら2人ではベースの知識が無さ過ぎて難しい。 それに説明された事を覚えるにしてもボリュームが多すぎて、ヘタなテストの一夜漬けより大変で難儀した。
恐らくイスラム教の概要が解っていれば、有る程度流れで解るような事だとは思うのだが…。
次にトルコの感じだが、ヨーロッパサイド/アジアサイドという別れ方をしていたり、旧市街/新市街という別れ方をしていたりと、なんかややこしくて混乱する。
あと、本などの事前調査では日本人が珍しく、凄いちょっかいをかけられるって話だったのだが、実際はそうではなかった。
恐らく、それらの本が出版されたころ、10年ぐらい前はきっとそんな感じだったんだろうなって感じである。
現在のトルコは急激に近代化を遂げており、イスタンブールあたりは普通の外国(?)である。 外人なんか特に珍しくも何ともなく、特に近寄って来たりはしない。 もちろん現地ガイドにガードされていると言う事もあるのだろうけども、物を売ろうと近寄ってくる人は皆無であった。
Nは本の情報を信じていたので、エジプト以上にちょっかいかけられると思っていたらしく、
「もっと俺をチヤホヤして欲しい。ボッタクリ目的でもかまわんから。」
等と言っていた。 エジプトだとつきまとうエジプト人にキレていたNだが、全く構って貰えないのも寂しいらしい。 面倒くさい奴。
そう言えばボッタクリと言えば、ネットでの事前調査で、昔は「チューリップ」という店名で、今は「五大陸」という店名のイスタンブールにある絨毯屋に、日本人が恋愛商法やら何やらで、相当被害に遭っていると言うウワサを見つけていた。
そこで、ムスタファさんにその店の事を聞いてみた。
するとブルーモスクの近くにその店はまだあって、相変わらずあくどい商法を行っているらしい。
「そんな事する人がいるから、トルコのイメージが悪くなる。 大半は真面目な店なのに。」
と、非常に残念そうに話していた。 ムスタファさんは本当に誠実にガイドして、トルコの良いところを紹介していこうとしているだけに、そう言った悪いトルコの店が日本で噂になっている事にショックを受けている様子であった。 余計な事を聞いてしまったかもしれぬ。
日が暮れた後は、アンカラ特急の寝台車にてアンカラに向かう。
車はアンカラに先回りして合流する事になっている所見ると、移動のついでに列車に乗る事もイベントとして盛り込まれていると思われる。
寝台車は清潔で快適であり、内側から鍵もかけられるので安心。 Nと二人してグーグー眠りながらアンカラに向かう。
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9月 27 2004
2004年9月27日(月) アンカラ→トゥズ湖→カッパドキア
朝起きて、食堂車にてムスタファさんと朝食。
ムスタファさんは、
「寝台車はうるさくて眠れませんでした。」
と、凄く眠そうである。 それに引き替え俺とNは途中目覚めることもなくぐっすり眠って気分爽快である。
つか、俺は自宅の前がコンビニで騒がしく、二階には深夜徘徊する住人に鍛えられているので、こんなもん静かなもんである。 Nはその我が家に泊まった時は俺以上に熟睡し、昼頃に「いい加減に起きろ」と起こすと、「こんな早くに起こすなよ」と文句言うぐらいで、ホッておくと夕方まで寝ている睡眠男であるので、この程度は屁でも無いのである。
トゥズ湖とN
鳩の谷近辺
ナザール・ボンジュ(トルコの魔よけ)を木に沢山つけて売っていた
まるでナザール・ボンジュの成る木
絨毯屋
8時10分にアンカラ駅に到着。 我らを先回りして待っていた車に乗り込み出発進行。
9時45分にトゥズ湖に到着。
このトゥズ湖は、ガイドブックなどに載っては無かったが、塩湖で有名であり、トルコの80%位の塩はここで取れるらしい。 凄い広さで、対岸まで果てしなく遠い。
時期的にか、見渡す限り乾燥した塩だらけである。 視界ギリギリの所に何やら色の違う部分がみえる。 結構遠いのだが、何か気になるので、危ぶむなかれ、危ぶめば道はなし。
踏み出せばその一足が道となる。 迷わず行けよ、行けばわかるさ、とNと2人で向かってみる。
そこへは結構遠く、1kmぐらい歩いて辿り着いてみると何のことはない、まだ幾らか水分の有る部分であった。
それを確認した後、Nは直ぐに元の岸へ戻り始めた。 排便欲が高まっていたらしい。 思ったより遠かったので、Nはペース配分をしくじっていたらしく、帰りは内股に成りながら急いでいた。
トゥズ湖を出発し、12:30頃カッパドキア近辺に到着。
カイマクル地下都市→ウチヒサール(鳩の谷)→ギョレメ博物館→奇岩群と、有名所をガンガン見学。
その後、絨毯屋に到着。
俺は、インド、エジプトを経験した結果、「旅行中にガイドに案内される店では買い物しない方が無難」と言う結論に達している。 別に騙されると言う意味では無く(インドの宝石屋では騙されたが)、物はしっかりしていても、後で考えると高すぎたりして、後々後悔してばかりだからである。
ムスタファさんは、
「やっぱりチューリップの事もあって、絨毯屋を警戒してますか?」
と気にしていたが、「旅行中買い物しない主義」と説明しておく事に。
と言うわけで、今回は完全に見学に徹する事にし、Nの買い物ップリを見学する。
やはりこの絨毯屋店主も完全に日本語対応であり、絨毯やキリムの特徴を解説したのち、実際の売り込みに入った。
部下2人を従えた店主は、完璧なコンビネーションでプレゼンテーションをして、バッサバッサとNの前に絨毯を広げまくりである。 それだけ広げられると、「いりません」とは言い出しづらいよな。
だが、Nは元々気に入った物が有れば買うつもりだったので、気に入った玄関マットサイズの絨毯を購入。
その絨毯は黒毛と白毛の山羊の毛をそのまま使って織り上げられたもので、素敵な物だったので、「俺が買う」と途中何度も言いかけたが、「いや、帰国後に絶対また後悔する」と思いとどまっていた物だ。
結局、帰国後に「やっぱり買っておけば良かった」と後悔してしまった。 Nが買って後悔していたら買い取ろうか。
絨毯屋を出ると、18時頃ホテルに到着。
このホテル内には、トルコ風呂の施設がある。 トルコ風呂と言っても、昔の日本の風俗の事ではなく、トルコの風呂、ハマムの事である。 なので予約してハマム体験をする。
ハマムは早い話が蒸し風呂である。 普通パンツ程度のものをはいて行くものだが、日本人は素っ裸で行っておっぴろげて恥をかく人が多いようだ。
入り方は、湯気でモウモウの部屋に暖かい石の台があって、そこでゴロゴロして楽しんだり、背中流し兼マッサージのおじさんに身体を洗って貰ったりして楽しむのだ。
おじさんには、Nが先にマッサージを受けた。 Nは不健康なので、ツボ押しに悶絶したり、キン肉マンに出てきそうな技をかけられたりしていた。
んだが、俺は健康だからか、たいしてアクロバチックな技をかけられたりしなかった。 単におじさんがNの処理に疲れて省かれただけなのかもしれない。
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By 俺様 • 2004年 トルコ旅行日記 • 0