2007年11月14日(水) ラオス(ポーンサワン):宿名忘れた

 

朝になると昨日手配したツアーのガイド(英語)が迎えに来た。
今日のコースは、

・ジャール平原 サイト1
・モン族の村
・ムアンクーン(オールドキャピタル)
・小学校?
・ラオ・ラーオ製造する村(家)
・ジャール平原 サイト2
・ジャール平原 サイト3

と、盛り沢山である。

写真が無いので、マウスによる手書きでイメージをどうぞ。

写真が無いので、マウスによる手書きでイメージをどうぞ。

最初に向かったジャール平原のサイト1は町から結構離れた所にあった。
そこには、うわさの通り、謎の石壷がボコボコとおかれている。サイズは俺の膝より低いものから、身長より高いものまであり、細長かったり、太めであったり様々。全くもって、変な壷である事よ。
一応、これは墓であると言う説が有力だが、酒を造るのに使った説とかもあり、今も謎が多いらしい。
結局、一風変わってはいるものの、簡単に言うと変な壷があると言うだけであり、見所としては弱く、観光客も俺たち以外ほとんどいなかった。それゆえにこのツアーも、他の所の観光込みになっているのだろうな。

次に、モン族の村を訪問。
しかし、時間が悪いらしく村には誰もいないで、まるで廃墟の様である。このツアーとなんか契約が結んであるのかよくわからないので、なんかじろじろ中をのぞくの躊躇われ、小屋の周りをグルグルと眺める。
ガイドいわく、このモン族の小屋の特徴らしいのだが、大きな石の上に支柱が置かれ形で、家が建っている。俺もYSも真っ先に、「地震があったらどうするのか?」とガイドに尋ねたのだが、「ここら辺に地震なんておきない」との事である。う~ん、地震が無いにしても、わざわざこんな建て方するのは何か意味があるんだろうか。

次は、ムアンクーンへ向かった。ムアンクーンはオールド・キャピタルとも呼ばれ、ここはその名の通り、昔のシェンクアン県の県都だった所である。しかし、内戦時にアメリカ軍の猛爆撃を受けて、街は全壊した。今ではワット・ピアットも、お堂は完全に壊れており、元々室内にあった、えなりかずき似の大仏が剥き出しに成っている。その仏像も、身体の各所が吹き飛ばされており、エナリ仏も痛々しい。入場料もガイドが一応払っているみたいだが、俺達の他に観光客もおらず、この過去の都はもう、完全に過去の物であり、周りから忘れられつつあるようである。

ムアンクーンの帰りがけに、ラオスの小学校に寄り、授業風景を見学。なぜ、見学するのか良く解らないが、コースに入っているので、取り敢えず神妙な面持ちで見学する。
その後、ラオ・ラーオ製造する村と言うか、家に行く。ラオ・ラーオは米で出来た蒸留酒で、ラオスでは一般的なお酒らしい。我らの運転手が大好きなようで、ガブガブ飲んでおり、運転は大丈夫なのか心配なのだが、我らにも杯が回ってくるので、ガブガブ飲む。う~む、チョット度数が高くてキツイ酒だ。だが、結構美味しく、泡盛のようなお酒だった。お酒も出来たてが美味しいんだろうか。

その後、ジャール平原のサイト2とサイト3へ向かう。
既にサイト1を見ていたので別段珍しい気がしない。ただ、サイト2にあった石壷の1つは、石の中央から生えた木が、成長に伴って壷を破壊してるもの等あって格好良かった。また、これをみたら、、「ラピュタの…」と言い出す人がでてきそうである。

観光が終わり、晩飯に昨日行ったレストランへ行く。
今日はスペアリブが食べれて嬉しい。確かに美味い。ここで勢いに乗って、川海苔のスープを頼んだら、再び「?」と言う顔をされて、色々説明したがやっぱり注文できなかった。くそう、絶品と言われて食べれないのが悔しいぜ。