4月 30 2001
2001年4月30日(月),5月1日(火) エレガントインド旅行(15):予定通りだ
ホテルのバイキングで夕食をとりながら本日の反省会。
インドでは一応英語は通じる事になっている。 なので何かあると、俺達二人も英語でなるべくがんばったが、力不足のため、英語だけではほとんど話が解決しない事を痛感した。
「ろくに出来もしないのにスムーズに事を済まそうとするので、よけい変で無様になるのだ。 俺はこれから恥をかこうが、ボディーランゲージなどを駆使する事にする。」
と魂の会話モードに切り替える事を宣言。
解説しよう。 魂の会話モードとは、発した言葉から内容を判断するのではなく、相手の表情の変化や、「こういう風に言われたら、答えはこれこれの中から出るだろう」等という判断で、相手の回答範囲を限定し推測するのである。
昔、太極拳の名人が手のひらに小鳥を載せて、小鳥が飛び立って逃げようとするたびにその気配を察知して手のひらを下げて逃がさなかったと言う話がある。 しかし、俺様の場合それと違って、有る意味全くの山勘なのだ!
これは、場合によっては全く場違いな返事をしてしまう諸刃の技である! しかし、この技が、中国旅行した時に大活躍。 ノリにノッテ後半なんかはつれに、「何でそんなに相手の言う事がわかる?」と心底感心され、自分でも『俺って中国人なんじゃないだろうか?』と思うぐらい相手の言う事がよくわかるようになっていたのだ。
しかしTは、
「いや、俺は出来る事なら英語でスマートにいくのだ」
と言って聞かない。 まあ、まかせるが、やたら「オーウ」とか「オゥ イエィ」とか言うのはあまりスマートではないと思うぞ。 あと、ダーラムさんにまで、
「おういえー サンキュー」
とか言うのはやめて欲しいなあと、コロッケだと思って取ってきたが実は魚の擂り身か何かの、ヤケに不味い謎な物体を食べながら思ったりした。 それにしてもこの謎の食い物は不味いな。 バイキングで取ってきた手前がんばって食べたが。
・・・
今日は結構疲れているはずなのだが何か寝付けぬ。 なんかミゾオチあたりが気持ち悪いような・・・、でも気のせいのような・・・。
とりあえずトイレ行ってみると尻が爆発。 ・・・ついに始まっちまったか。 下痢だぜ。
「まあインドに来れば、下痢はするだろうと思っていた。 ある意味予定通り。
インドも俺の手のひらで遊ばされているに過ぎぬ。」
とか思っていると今度は急に顔面が爆発。 ブバァ!っと嘔吐。 気持ち悪さを感じる前に出て、危うく周りにまき散らすところだった。 う~む。 下痢は覚悟していたのだが、吐くとはのう。
「インドに来ても吐くとは思っていなかった。 予定外だ。 もうだめだ。」
と敗北感を味わいながらベッドに戻る。 Tの野郎は幸せそうに寝てやがる。 デリケートな俺様のバディと違い、いい加減な作りのTが憎いぜ。
・・・
少し眠ったが、また気持ち悪くなり便所へ。
「ひでぶっ!」
再びゲロが飛び出す。 『まいっちまったな』と思いながらベッドへ戻る。 するとTが微妙に起きていたので、
「ついにはじまっちまったぜ。 上から下から大変だ」
「おお?いよいよかぁ? 俺なんか全然平気だぜぇ」
と言いながら寝てしまう。 むう、憎々しい。 『寝ている内に生水を飲ませて、こっちの世界に引きずり込もうか』とかちょっと頭をよぎるが、優しい俺はそのまま見逃してやる事にし、気持ち悪さを押さえて眠りにつく事にする。
・・・
明け方目を覚ますと、Tが便所から出てくるところだった。
「・・・俺も下痢しちまったよ」
とT。 やはりな。 同じ物喰ってるから俺だけおかしくなるのは不公平だ。 ようこそこっちの世界へ。 しかし、Tは吐いたりはしていないらしく、症状も軽めである。 まあそのうち追いついてくるだろう。 俺についてこい。
俺様の体調はと言えば、最強に悪い。 下痢も不安だが、それ以上に気持ちが悪い。 こんな短い旅行のまだ半分なのにまいったぜ。
軽めに朝食を済ませた後、荷物をまとめて旅立ちのためエレベータに乗る。 俺達二人の他に、このホテルの従業員インド人も一人乗り合わせていた。 彼は他の授業員と何かベラベラ話した後、ガショガショとボタンを連打。 『なんかエレベータの動きがおかしいようだな・・・』と、ボーっとしながら考えていると、エレベータ途中で止まる。 ・・・なんか俺をイジメるために、わざとやってんじゃないだろうか?
従業員インド人はちょっとあわてた様子で、さらにボタンをガショガショ連打。 しかしそんな事では直りはせずに、あきらめてこっち向かって照れ笑い。
Tは、
「おーう、いっつはっぷにんぐぅ」
とかのんきにインド人とコンタクトを取っていたが、俺様は冗談でなくマジ吐きそう。
永遠にも思える長い時間(でも実時間はたぶん10分)を密室でインド人と呑気日本人に囲まれて過ごし、解放された時はもうグッタリである。 イヤ、朝起きたときからグッタリだが。
ホテルをでるとヤケクソ気味に晴れている。 今日も暑くなりそうだ。
待っていたダーラムさんと車に乗り込み、次なる観光地アーグラーに向かうため出発。 下痢日本人二人を乗せた車はひた走る。
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5月 1 2001
2001年5月1日(火) エレガントインド旅行(16):アーグラー突入
本日の予定は、ジャイプールを去る前に、風の宮殿を外から見学。
その後アーグラーに向かい、ファテープール・シークリと言う都跡及び、タージ・マハルと言う王妃の墓の見学となる。
風の宮殿
1799年にサワイ・プラタープ・シンが建造。
5階建ての見事なラージプート様式の建物で、ピンクの外観が印象的だ。通りからみると大きく見えるが、建物の奥行きはない。テラスには細かな幾何学的模様が施され、透かし彫りのスクリーンがはめ込まれている。これは、女性たちが姿を隠したままで外界をのぞき見るための工夫だが、同時に吹き込んでくる風の温度を下げるエア・クーラーの機能も果たしていた。
車で少し移動すると風の宮殿に到着。
正面から見ると派手にでかいのだが、奥行きが無くまるで無く、正面から風を受けたら倒れちまんじゃないだろうかと思ってしまう。
ここは中には入らず、ダーラムさんの解説を聞いた後、外から見学して終了。 中は特にみる物は無いそうだ。
サッサと見学をすませ、再び車で出発。 昨日と同じく、午前中いっぱい車で移動となるのだ。
移動中ずっと俺様の腹はボコボコ沸騰しているかのような音をたてている。 その、上気持ちも悪くて眠ろうと思うのだが眠る事もできず、ただひたすら脂汗を流しながらひたすら耐える。 まさにスペランカー並みの体力で、今なら膝の高さの穴に落ちても死亡するに違いない。
(苦痛で移動中の景色などの記憶なし。Tの話では我らの車は人を轢きそうになったりしたらしい。)
ふと気づくと、アーグラーに近づいたそうで、休憩所にて一休みするため、車が停止していた。
トイレに行って出し出すと止まらなくなる恐れがあるので、とりあえずトイレには行かずに席に着く。
「お腹には、ラァイムティーがいーちばんヨォ」
と言うダーラムさんの薦めに従い、ライムティーを飲んでみる。 うーん、なんかちょっと気分はよくなった気がする。
しばらくしてTがトイレから戻ってきた。
「このトイレにもチップをせびる子供がいたよ。」
とか言いながらTがトイレから戻ってきた。 なんか入り口あたりで、手を拭く紙を渡す少年がおり、去り際にチップを受け取ろうとしてきたので、強行突破してきたらしい。 うーむ、この場合はチップを渡すべきじゃないだろうか? 紙とか受けとってんだし。
しかし、イマイチどう言うときにチップを渡すもんかはっきりしないので、こういう場合どうかダーラムさんに聞いてみる。 すると、こういう場合は(インド人でも)普通あげるもんなのだそうだ。 Tは、「うーん、そうか。 そいつは悪い事をしたなぁ。 次の便所では渡すようにしよう」とか言っていた。
休憩の後旅立つ前に、念のため出し切りにトイレに行く。 Tもまたトイレに行く。 少年にチップを渡してトイレを出るが、Tがまだ出てきておらず外で待つ。 しばらくしてTが出てきたので、「今度はちゃんとチップあげたか?」と聞くと、「やらなかった。やっぱりなんか勿体ない」とか言っていた。 短時間にしかも2度も大便で利用したんだからやりゃいいのに。 10Rsなんて30円ぐらいだし。
再び出発し、しばらく車を走らせると、アーグラーに突入した模様。
アーグラー(AGRA)
ウッタル・プラデーシュ州西部のヤムナー河畔に位置する人口120万ほどの街。 1526年にムガル皇帝バーブルが都に定め、以後、アクバル帝、ジャハンギール帝、シャー・ジャハーン帝の統治下にあった約100年の間に繁栄を極めた。 いまもこの時代に築かれた建造物が観光スポットとして人気を集めている。 その代表が街の南東部、ヤムナー川沿いに建つタージ・マハールだ。
そこで最初の観光地である、ファテープール・シークリに到着する。
ファテープール・シークリ
シークリ村に築かれたファテプール(勝利の都)で、短命に終わったムガル朝の都跡。 言い伝えによれば、男児に恵まれなかったムガル朝第三代皇帝アクバルは、ある日シークリ村に詣でた際、村の聖人を訪ねて悩みを打ち明けた。聖人が「男の子が3人授かるだろう」と予言すると、翌年男児が誕生。これにひどく感心したアクバルは、シークリ村に都を建設する事にしたのだという。
街は1571年から都として昨日したがあいにく水の便が悪かったために枯渇、1585年、皇帝はやむなくラホール(現パキスタン領)に遷都し、都跡は放置された。
車を降りるとカンカン照りでクラクラ。 下痢でフラフラ。 吐き気でヨロヨロ。
しかも、ファテープール・シークリーは都跡であり、広さは凄いが、建物そのものが残っているだけである。 内装は無く壁むき出しである。 特に博物館の様な物もないので、ただフラフラ、ヨロヨロと歩き回って見て回るだけである。
元々はどんな内装がされていたのだろう。 ドアもついていたのだろうか?
ほどよく見学した後、ファテプール・シークリを後にする。
この近くの村には何故か熊をつれたインド人が多くいたのが印象深い。 見せ物なのだろうが、3~4回見かけたので、かなりの熊使い率である。
熊は馬の手綱のような感じの物で口を括られているが、そこからでている紐一本で人に連れられている。 まるで犬である。 そんなんで本当に大丈夫なのか非常に気になるところである。
しばらくしてホテルに到着。 今は1時を過ぎている。
ここで一度ダーラムさんと別れ、遅めの昼食を摂りってくつろいだぎ、3時頃タージ・マハールに向かう予定である。
昼食はほとんど食欲無し。 しかし、下痢時は水分を摂らないと脱水症状になってしまうので、ここでもライムティー等を飲んで過ごす。 しかし、近くにおいてあるペプシが、ヤケに美味そうに見えるので、それを注文しようとすると、
「駄目だ。 ペプシはおそらく別料金だ。 別料金を払うやりとりも面倒くさいし、その上ホテルのは値段が高い!」
等と、Tは酷い事を言うのである。 体調の悪い俺様をいたわる優しさは無いのか。
「んなもの自前で払うわい! あとやりとりも何も俺がやる!」
と言い放って、まだブツブツ言っているTを尻目にペプシを頼みそれを飲む。
するとどうした事だろうか、ヤケに腹の中がすっきりしてきたのである。 もちろん下痢が止まっている訳ではないのだが、気持ち悪さがスーッととれていったのだ。 なんかわからんが、体が欲しているものゆえ、ヤケに美味そうに思えたのだろうか。 何はともあれ、よい事である。
その後部屋に戻り、約束の時間が来るまで休む。 部屋は高い階だったので、部屋から遠目にタージ・マハールが見えるので、遠目にそれを観賞。 もちろんトイレにもTと代わる代わる何度も行く。
Tの下痢も絶好調であり、部屋の外まで音が聞こえてくる。 まるでシャワーを浴びているかのような音が聞こえてくるのだ。 俺のがトイレから出ると、
「おまえ、下痢なんだか、シャワー浴びているんだかわからない音が聞こえてくるぞ」
とT。 やはり同じ事を思っていたか。 そいつはお互い様だ。
それにしてもこれが新婚旅行のカップルだったりしたら非常に気まずい思いをしそうだな。 新婚旅行にはインド禁止である。 いや、こんな事で駄目になるようならこの先も駄目な気がするので、逆に最初の試練として良いのかもしれんな。
そんなこんなで、トイレとベッドを行ったり来たりしながら身体を休め、いよいよ観光の目玉である、タージ・マハールへ向かうのである。 Tはここを見学するためにインドに来たと言っても過言ではないのだ。
俺は未だに、『写真でよく見るよね』と言う程度の感想しか無いのだが。
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By 俺様 • 2001年 エレガントインド旅行 • 0