9月 29 2004
2004年9月29日(水) パムッカレ→エフェソス→イズミール
朝起きて、ヒエロポリスと言う、昔の墓を見学。
その後、有名な石灰棚に行く。
石灰棚はさすがに見事なのだが、有る程度の範囲は観光客に開放されているので、結構汚れている。 でも、実際に足を踏み入れても構わないので楽しかったりする。
ちょい奥の方は立ち入り禁止にされているので、石灰棚も白くて綺麗で、溜まっている水も澄んでいる。
と思って写真撮ろうと思ったら、白人グループが立ち入り禁止なのにも構わず入り込んで好き勝手し放題である。 管理人が注意しても、全然どこ吹く顔で石灰棚を荒らしている。
さすが白人。 インド、エジプト、トルコと見てきたが、何処の国に行ってもやりたい放題で有る事よ。
その後、迷子になったNを見つけ出して、昼食をとりエフェスへ移動。
エフェソスには、聖母マリアの隠れ家がある。
よってここは、クリスチャン垂涎の観光地であり、死ぬまでに一度は訪れたいと思っている人も多いらしい。
当然、敬虔なる無宗教徒である俺とNは、こんな所にそんな物が有る事もここに来て初めて知った体たらくである。
この家の近くには、聖水が湧き出ており、どんな御利益が有るのか解らないが、みんな飲んでいる。
そこで俺達もチョット飲んでおく事に。 生水だからお腹が危険かもしれないが、聖水を使った事で、しばらく弱いモンスターには遭遇しないに違いない。
その後はエフェスの遺跡群を見学。
このあたりから、トルコは別の側面を見せだした。 と言うのは、このあたりから、ローマ遺跡だらけなのだ。
トルコはローマに征服されていたりしたから当然と言えば当然なのだが、そう言った物が見れると思ってなかったので嬉しい誤算であった。
Nなんかは、そう言う物を見るために以前ヨーロッパ旅行までした事があるのだが、トルコの方が状態も良く、ボリュームもあるらしい。
「こんな事なら最初からトルコに来てればよかった。」
とか言っていた。
俺はこの手の遺跡は始めて見たのだが、円形劇場なんか迫力有るよな。
下から見上げると特に大迫力で、写真を撮ろうと思ったら、運悪く中央の良いところに、ゾロゾロと韓国のおっさんおばさん観光グループが歩いてきて、そのまま記念写真の様に並んで座ってしまった。 ちょっと待ってみたがいつまでもどく気配がない。 それどころか、そのうち、そのグループは合唱を始る始末。
周りの観光客もあきれ顔なのだが、どうやら注目を浴びているので喜ばれていると思っているらしく、どんどんヒートアップし、終いには感極まったのか振りまでつける始末である。
それにしても、その周りの観光客がその韓国人集団を指さして、「ジャポンジャ」とか「ジャパニーズ」とか言っている所を見ると、あの団体は日本人だと思われているようである。
そのうちの何人かが俺に向かって、「あれ日本人でしょ?」、「あの団体が歌っているのは何て言う歌か?」「君は歌わないのか?」とか聞いてくるので気分悪い。 一応、「あれは日本人じゃない」と説明してみたのだが、なかなか解って貰えないので諦めた。
ちょっと前まではトルコへは日本人観光客が多かった。 しかし、最近は観光局がトルコを危険地域にしている影響か、日本人は激減し、代わりに中国と韓国からの観光客の比率が増えているのである。 それで、アジア人はみな日本人だと思われている様子。 聞くところによると、モラルもあまりよろしくないらしい。 と言うことで日本人は、知らぬ内に評判を落としている可能性は高いな。
歌い終わった後も、そのままヤイヤイ話し続け、一向にどく気配が無いので、写真は断念。 残念である。
その後はホテルへ向かい、自由時間である。
「ホテルの直ぐ近くにエーゲ海があって、トルコブルーの海が綺麗です。」
とムスタファさんに勧められたので行ってみたが、海に着く頃には日が暮れて真っ暗。
海も真っ黒でせっかくのトルコブルーの海も台無しである。
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9月 30 2004
2004年9月30日(木) イズミール→アクアポリス→イスタンブール
朝起きて、車にて出発。
昨日、エーゲ海が暗くて見えなかったので、海経由の道をとってもらい、エーゲ海を見ることが出来た。
んが、思ったほどトルコブルーではなく、チョット残念。 海の場所によるのか、それとも近年汚染が進んでこうなったのかは良く解らないのだが、濁っているだけに見える。 江ノ島に近い。
その後ベルマガにある、アクロポリスへ向かう。
途中Nが、「トルコアイスは何処で食べれるのか?」と質問していた。 トルコアイスとは、最近日本で流行った、びょ~んと伸びる変なアイスである。
トルコアイスの感想は、「伸びるのは面白いが、味が無くて不味い」と大半の人が言うが、Tの嫁はトルコで食べたら美味かったと言っていたので、この味を確認するのもこの旅の目的の1つにしていたりする。
旅の最初の頃に、ムスタファさんは、「××でトルコアイス食べれます」と言うような事を言っていた。 しかし、その時は我らはトルコの地名が良く解っておらず、その場所に来れば出してくれて食べれるのだろうと思っていた。 んだが、いつまで経ってもその気配がないので、Nが辛抱溜まらずに質問したのである。 すると、
「え?トルコアイス食べたかったですか?アレを売っているのはカッパドキアです。
言われなかったので、興味ないのかと思ってました。」
とムスタファさん。 「有名な店じゃなくても良ければ、どこか他でもで食べれるんでしょ?」と言ったところ、ムスタファさんは残念そうに首を振った。
話を聞くと、通称トルコアイスはトルコで昔から食べられていたアイスである。 もちろん、日本で紹介されている様に、びょ~んと伸びる。 しかし、味も無くて美味しくないので、近年トルコ人は食べたりせず、トルコでそれを食べたがるのは世界中から来る観光客の中で日本人だけらしいのである。
それで、今では食べられるところは、カッパドキア付近に限られ、それも客は完全に日本人のみなのだとか。
「トルコ人は、もっと美味しいアイスを食べてます。」
との事。 一応、今後の旅の途中で探してみるけど可能性は低いとのことである。 残念である。
俺も出発前にトルコに旅行に行くという話をすると、かなり「トルコアイスが…」と言う話をしてくる人が多かったんだよな。 まぁ、帰国して感想を聞かれたら、
「トルコアイスを食べているのは世界中で日本人だけだ。
トルコ人はもっと美味しいアイスを食べてるんだぜ。」
と答えよう。 これがトルコ通に違いない。
そのうち、ベルガマに到着し、アクロポリスを見学する。
このアクロポリスも、昨日みたローマ帝国時代の遺跡である。 円形劇場が有ったり、いかにもって感じの遺跡だ。 丘の上にあるので、遺跡から下を見下ろすと、まるで空中都市にいるかのようである。
ムスタファさんには解説を終えると入り口で待っているので、自由に見学して戻って来るように言われ、Nと2人で見学開始。
Nは、
「このアクロポリスだけで、以前のヨーロッパ旅行でみた遺跡よりボリュームが多い。」
と再び悔しがっていた。
それにしてもこのあたりから、Nの体力が残り少なく成っている模様である。
亡霊の様にフラフラ歩き、ほとんど喋らず、こちらの呼びかけにも応答がほとんど無くなっている。 まぁ、普段から体力が無い男ではあるのだが、まだ昼前なのに早すぎる。
話を聞くと彼の体力回復システムは、宿で休んでも回復しないらしい。 ドラクエシステムは採用されていない様だ。 なので、日本を旅立った時が彼なりの体力MAXであり、そこからは徐々に消耗していったらしいのである。
エジプトの時はもっと体力が有った様に見えたのだが、あれは恐らくTがいたからだな。 TはN以上に体力の少ない男であり、NとTは良いライバル関係にあるので、お互い弱みを見せぬようにガッツを出していたのだろう。
んで今回、Tと言う当て馬がいないので、素直に弱音を吐いている様子である。
自分でも体力の限界を自覚しているらしく、
「例えるなら、ビームライフル残り1発しか撃てない! って位のエネルギーだ。」
とか言っているし。 つか、そんなに無いだろうに。
俺は思いきりの良いパイロットなので、「どうせ一発しか撃てないのなら!」と捨ておいて、アクロポリスを縦横無尽に探索する事にした。 おかげで迷子になってしまい、入り口に戻るのに苦労してしまった。
車に戻るとイスタンブールに向かって出発する。 これまた長距離車に揺られる事になり、Nはさっさと眠りについている。
正直観光自体より、移動時間の方が数倍長いな。 今回の我々のツアーのコースは定番ではあるが、10日程度のツアーでこれらを全部回ると言うのは、ムスタファさんが受けるガイドの仕事の仲でも過酷なスケジュールなのだそうである。
昼頃バルケシルという街に到着。
ムスタファさんはトルコアイスの件を気にしていて、ここに来るまでの間も色々なところで売っているところを探してくれたのだが、結局この街でも見つからず、申し訳なさそうであった。
この街にはアイスを探すついでに寄ったようで、ついでに昼食も摂る事にしたのだが、いつもは寄らないらしい。 なので、「日本人は初めてかもしれません」と言っていた。
この街は観光地でないのだが、繁華街の様な感じで、現地の人が溢れている。 ヤケに携帯電話屋が多かった事が印象深い。 ちなみにトルコでも携帯電話はかなり普及している。 でも携帯電話の主流は日本と違って折りたたみ式は1つも見かけなかった。
昼食後は再びイスタンブールに向かって出発し。 ヤロワという港からは車ごとフェリーでマルマラ湖をわたる。
対岸に到着すると、ムスタファさんとお別れである。 ツアーとしては後1日あるが、明日はガイドなしのフリーの予定となっている。
「今回のトルコ旅行が気に入ったら、日本でトルコは楽しかったと宣伝してくれると嬉しいです。」
との事である。 彼には旅行中本当に気を配って頂き、おかげでトラブルゼロで楽しく観光する事が出来た。 こんなにトラブルが無い旅行は、俺の人生では例がない。
言われるまでもなく、トルコ旅行は見所も多いので、一度は行って損はないんじゃないかと思う。
名残惜しいが、トルコ式のキス(両頬を軽く合わせる)をして別れる。 トルコ式キスの勝手がわからず思い切り頬を合わせてしまい、ムスタファさんの短い髭がジョリっと擦れた感触が忘れられぬ。
その後、運転手さんに、イスタンブールにある、初日に泊まったホテルに送ってもらい、運転手さんともお別れである。
いよいよトルコに来て、初のNとの2人っきりの状態。 何かトラブルが起こるとしたら、これからであるな。
ホテルに到着したのは、真夜中になってしまったのだが、せっかくなのでホテルの前にある、にぎやかなイスティクラル通りを散歩してみる。
しかし気付くとNが死にそうに弱っているので、程良く切り上げて明日に備えて寝ることにする。
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By 俺様 • 2004年 トルコ旅行日記 • 0