10月 31 2007
2007年10月31日(水) カンボジア(シェムリアプ) SAWADEE Angkor HOTEL
朝から予定通り、アンコール・ワットを中心とした、アンコール遺跡群へ観光をスタート。
昨夜、我らから集中砲火を受けた人が、今日の日本語ガイドのだったようである。名前は「サラット」さん。日本語はしっかり喋れるし、正式な観光ガイドのライセンスも持っている。
カンボジアでは、アンコール遺跡群に関しては、ライセンスをもった人しかガイドする事が出来ない。
今日の観光ルートは、アンコール・トム、アンコール・ワット、像のテラス、タ・プローム、プノン・バケンである。
アンコールワットまではライトバンで向かう。
そう言えば昔、電波少年で、アンコールワットまでの道を、日本の引き籠もりたちで整備する、と言う様な企画をみたが、あれってどこだろうか。なんか、アンコールワットの真ん前までだった気がするが、取り敢えず今では、市街地はアスファルト舗装されている。
整備するなら、昨日の国境のポイペトからの道を何とかして欲しいところだ。
入り口で、入場券を購入し(ツアー料金に含まれていない)、アンコール遺跡群へ入場する。
アンコール・ワットの近くには、アンコール・トムと言う、もっと大きな遺跡があり、こちらの門の顔も有名で、なんだかんだ見たこと有るな。どうも、『アンコール・トム』と言う響きが、「アンクル・トム」に似てるもんで、俺の中では「トムおじさん」って名前で変換されてしまうのだが。
その後、、アンコール・ワットも見学する。
確かに、ワットもトムも素晴らしい遺跡であり、壁の彫刻やら何やら、見所満載である。
しかし、どちらも、観光客でワイワイガヤガヤごった返しており、土産物屋やらも満載で、神秘感や遺跡らしさがなく、もうテーマパークのようである。自分もその観光客の一人で有るわけだが、なんか興ざめであった。
少し前のここら辺を訪ねた人々の旅行記を見ると、順路から外れたらまだ地雷が残っていて危険とか、近くにまだゲリラが残っているとか、そう言ったハラハラ・ドキドキ感と同時に、神秘感も感じたので、俺はそれを期待しすぎてた感がある。
あと、アンコール・ワットには日本人の落書きがある事も有名である。森本一房によるもので、1632年に書かれたものらしい。今俺が落書きをしたら、悪名を世に残すことに成りかねんが、落書きもここまで古い物だと、歴史的に価値が出てくる物なのだな。
このツアーは日本人向けの物なので、当然ここの説明も有るかと思ったのだが、サラットさんは何も言わずに、さらっと通過。他の日本人もそんな物がある事は気にもしてない様なので、呼び立てるのもアレなので、一人さりげなく抜け出して落書きの有る場所まで戻ってみる。そこは、特に説明も何もないし、単に他の柱と一緒のあつかいで、強いて言えば他より汚い柱って感じである。
落書きを読んでみようとおもったが、上に墨で塗られているのでよく読めぬ。それにしても、墨ってこんなに長持ちする物なのだろうか…、なんて思いながら読み取りを挑戦していたら、消えた俺を捜しに他のメンバーが来たので、取り敢えず一枚写真を撮って、急いで皆と合流。
アンコール・ワットの楽しみの1つは、中央部の第三回廊に登れる事らしいのだが、今は修復中なので入れないそうで残念。後で聞いたところによると、本当は修復中ではなく、ちょっと前に外国人が落下して死亡したため、入場禁止に成っているとか。そうだとすると今後入場できる様になる事は、難しいんじゃないだろうか。
全体的ににカンボジアの遺跡群は、アンコール・トムの様な感じの遺跡だらけなのだが、何処の国とも似てないというか、似てるようだが何か違うって印象を受けたのだが、サラットさんの説明を受けて合点がいった。
カンボジアは元々ヒンドゥー教だったのだが、仏教に改宗したそうで、それらが混ざった形の遺跡が残っている様である。なんかヤケにガルーダに似た鳥人間が居ると思ったら、ガルーダその物だったのだな。
アンコール・ワットに関しては、まだヒンドゥー教だった頃の遺跡らしい。ふむ、インド以外でヒンドゥー教が有るとは知らなかった。
その後、象のテラスを回った後、タ・プロームへ向かう。
タ・プロームも遺跡群の中では人気のスポットであるが、小さいのでアンコール・ワットやトムおじさんに比べると人も少なく落ち着いて観光できる。
ここの寺院は、至る所にガジュマルの樹が生い茂り、寺院を押しつぶすように覆い被さっている。これは、発見当初から修復せずに、そのままの状態で保存するという措置がとられているからである。
ここは、先の遺跡群で人にあてられた俺としては、落ち着けるので、結構好きな場所であった。
その後、、本日最後の観光ポイントである、プノン・バケンへ向かう。
プノン・バケンは、小高い丘の上にあるピラミッド型寺院である。
高い位置に有るため、360°の大パノラマを堪能することが出来る。その為、特にアンコール・ワットの夕陽を見る為の、おきまりスポットである。
と言う事で、例によって夕方から観光客でごった返しており、俺達が到着した頃には、既にアンコール・ワット側なんかは、みっちり人が並んでおり、のぞき込む隙もない。
仕方ないので、みんなちりぢりになり、思い思いの方向を向いて、日暮れをまつ。う~ん、なんか、花火大会で花火を待っているかのような気分である。
ただ、夕陽は綺麗であり、「アンコール・ワットの夕陽」なんて言う絵に描いたような風景は見れない物の、みんなで話をしながら夕陽を楽しむのは悪くない時間であった。
SNは、「地雷を踏んだらサヨウナラ」と言う映画を見たのが、この旅行に来たきっかけだったらしく、劇中にある夕陽はここからのものじゃないか、と思ってかなり楽しげであった。
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ホテルに帰ると荷物が他の部屋に移動されいた。
昨日我らが苦情を言ったので、それよりは良い部屋を用意すると言われていたのである。
しかし、勝手に移動されているので、3人の荷物がすこし混線しているというか、何故か俺の荷物だけが、いろんな所にバラバラで置いてあるのが腹立たしい。
もしかしたら勝手に移動されるかも、と思ってちゃんと一角に纏めておいたのにこの体たらくである。荷物の移動は自分達でさせて欲しいところだ。
更に問題だが、今日の部屋はダブルベッド1つとシングルベッド1つの部屋であり、誰か男二人でダブルベッドに寝なくてはならないので、むしろ昨日より微妙である。
腹立たしいのだが、「さすがMPツアー」と皆で合唱し、諦めてじゃんけんで、誰がダブルベッドで寝るかを決める事にする。
案の定、俺はじゃんけんに負け、KNMと男二人でダブルベッドで寝ることになる。ちなみに言うと、昨日の簡易ベッドもじゃんけんに負けて俺である。
幸いKNMは見るからにその気は無いので安心だが、あまり気の休まらない体勢である。
…しかし、あのMI(女) & UN(男)のカップルっぽい二人は、カップルじゃないのに2人部屋である。
KNは女の子1人しかいないので、ダブルルームを一人で使っている。
同じ料金で、しかも一番ルールに則っている人達がこのような扱いになるのは何なんだろうかと思うが、「さすがMPツアー」であるので言うだけ無駄である。
申し込み時に、俺達の内の2人がゲイのカップルというにでもしたら、その二人でダブルルームを使えて、残る1人が、ダブルルームを1人締めできて、みんな幸せになれたんじゃないだろうかと思わなくもないぞ。
しかもこの部屋、エアコンは当然ついてないが、扇風機も壊れていて動かないし、ボロボロである。何処まで我らは虐げられるのか。あと、壁掛けのTVもグラグラしていて、いつ落ちてくるか不安でしょうがない。
その後、SNはガイドのサラットさんと夜の飲み行く約束をしていたようで、地元の良い店に連れて行ってくれると言うので言ってみたら、ディスコだった。SNはこの手の物が大好きであるので満足げだが、俺はあまり楽しくなく残念である。なんか地元の人が飲みに行くような居酒屋的なものを想像していたのだが。
余り楽しくないので、俺は適当なところで切り上げ、明日に備えることに。
それにしても、そこで聞いたのだが、サラットさんの本職は警官なんだそうだ。
警官がガイドの免許もってガイドしてるのも驚きだが、明日も違うガイドをすると言っていた。本職の方はどうなってんだろうか?
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11月 1 2007
2007年11月1日(木) カンボジア(シェムリアプ) SAWADEE Angkor HOTEL
早朝、MI(女) & UN(男)のカップルではない二人は、予定通り仮病を使い、元気いっぱいタイに帰って行った。
代わりに残った我らのに新たなメンバー追加。先にツアー出来ていたけど、そのままシェムリアプに残って過ごしている、N(女)である。昨日トゥクトゥクに乗っていたら、何故かトゥクトゥクごと横転して、結構ダメージを受けていると言っているが、ケロっとしている。俺なんか原付でコケて背骨骨折したというのに、タフな人だ。
彼女を加えた我らの今日の予定はベン・メリアへ行きである。
ベン・メリアは、シェムリアプ市内から東へ60Kmほど行ったところにある。ここは、先のタ・プロームと同様、発見当初から修復せずに、そのままの状態で保存するという措置が執られている。と言うか、この手の遺跡はこの付近で幾らでも見つかるので、全部が全部修復してらんないって感じで放置されていると俺は思う。
何はともあれ未修復で、大きな石組みの遺跡は崩壊しており、さらにジャングルの木々に覆われていると言う事で、まるで「天空の城ラピュタ」的な様相を呈しており、近年人気のスポットである。つか、「ベン・メリアこそラピュタのモデルになった」と、勝手に言い切っているパンフレットやらも多く見かける。
サラットさんは、本日は別のグループのガイドであり、今日のガイドは「タ」さんと言う青年、と言うか少年。なんか素朴な風采で、どこか、えなりかずきを連想させるため、我らは勝手に、「エナリ」と呼ぶ事にした。ちなみにエナリもそこそこ日本語は喋れるのだが、ガイドの資格は持ってない。周辺の遺跡のガイドには特にガイドの資格は要らないらしい。
皆でバンに乗り込み、1時間ほど走っただろうか。ベン・メリアの入り口に到着。ここでチケットを購入する。
ふとみると、その正面に学校があり、今は休み時間なのか、生徒の子供達がそこかしこで遊んでいる。皆で興味深げに覗いていると、エナリが「入ってイイヨオ」、とずかずかグラウンドに入っていくので、おっかなびっくり我らもついていく。休み時間とはいえ、邪魔してしまわないか心配なのだが、エナリは構わず生徒達にちょっかいかけてるし、最初は遠巻きに様子を伺っていた子供達も我らと遊び始めた。
KNやSNなんかは、
「こういう事も有ろうかと思って、日本から使ってない鉛筆とかタップリ持ってきた。」
と寄付の用意までしてたらしいのだが、まさかこんな所で使うとは思わず、ホテルに置いて来てしまい、すこぶる悔しがっていた。
結局、我らの乱入で学校中騒然。日本で言ったら、授業中に校庭に犬が入ってきた時の様な騒ぎである。
さすがに教室に入ったりは控えていたのだが、辛抱貯まらなくなった他のメンバーが入りはじめたので、結局皆で入り始めた。
教室には、折り鶴がずらりと吊されていたので、「皆で折ったのか?」と聞いたらどうやらそうでもないらしい。「お前は折れるのか?」と聞かれたので、「超余裕で折れるぜ」と言って作って見せたところ、折り方を教えてくれと言うので、急遽折り紙教室開催。とは言っても相変わらず、鶴、風船、手裏剣程度しか覚えてないのだが。
他には、KNMは手品をやって見せたりと、皆思い思いの隠し芸を披露して、子供達と戯れる。
ちなみに、そこの先生は1人しか見かけなかった。若い女性で、凄い美人である。カンボジアの夏目雅子って感じであり、生徒が羨ましい。
結構な時間そんなことをしていたのだが、休み時間も終わりっぽいところで我らも退散し、いいかげんベン・メリアに向かう事にする。
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ベン・メリアは本当か嘘か、たぶん後づけだが、「天空の城ラピュタのモデル」と言われたりしている。
それは、ここは発見当時から敢えて未修復のままの状態にされており、石造りの神殿が大きな木に浸食されたり崩れたりしているのである。
そんな状態なので順路も柵もない。探検気分を味わうことができるのだが、これが日本だったら危ないので、絶対直接入場させない感じである。ここは入場禁止には成ってない(入場料取られている位だから)のだが、事故っても完全に自己責任である。
乗ったら絶対落ちる石とかは、おおよそ見当が付いているようで、ガイドの経験であそこは行ける、あそこはダメという様な感じで進む。
しかし俺は、一回相当危ない石に乗ってしまったらしく、ここを遊び場にしている子供達とガイドさんが、ビックリしてそこから降りろと大騒ぎになってしまった。…うむ、結構しっかりした大きい意志に乗ったつもりだったんだがな。
ちなみに、ちょっと前に日本人女性が落下して、腕の骨を折った騒ぎがあったとか。それでも入場禁止にしないのが良いが、確かに危ない所が多い。
我らがここを観光している間、入り口から付いてきたここを遊び場にしている現地の子供の他は、他の観光客なども全くおらず、堪能し放題である。壁の向こうから手を伸ばして、
「パズー! 海に捨ててぇ!」
とか、ラピュタごっこをしたりして、存分に遊ぶ。
その後、遺跡の西側には、ここに用いたと思われる石切場を見に行くことに。
石切場は遺跡のすぐ横であり、小川があった。
先の遺跡ではサンダルでウロウロしていて汚れているので、チョイと足を洗おうと近づいてみた。
なんか川縁は石の上にコケが生えているので、見るからに滑りそうな感じである。転けないように、充分警戒して近づいたところ、つるっと見事に滑って、右脇腹と右後頭部を石にしこたま打って転倒。そしてそのまま、ズルズル滑って川に落水である。
なんてこった、充分に警戒していたのにそれでも滑るとは、ここの滑りっぷりは凄まじい。
他のメンバーはノンビリと歩いて来ており、俺の転けたり落水したりを目撃した人はいないのだが、
ざっぱ~ん!
と言う、俺の落水時の大きな音で気付き、みんな慌てて駆け寄ってきた。
常人なら皆も落とそうと、何とか騙して近寄らせようとするところだが、俺は紳士なので
「気をつけたまへ。ここの石は予想の2倍手前から滑るので要注意であるぞ。」
と川にじゃぶじゃぶつかりながら、皆を冷静に注意を促す。
この川の深さは俺の胸ぐらいまであり、直ぐに鞄は持ち上げたので、中にはあまり浸水しなかったが、クビからかけていた、パスポートとカメラが完全に水につかってしまった。
それにしても、川の縁はその超滑る石&苔のコンビネーションにより、川から自力で登る事能わず。そこでエナリが、足場のしっかりした場所を選び、「ツカマッテェ~」と手を差し伸べてくれた。
俺は「うむ、有り難い」、と手をつかんだところ、まだ引っ張ってないのに、エナリはつるっと滑って転び、そのまま俺の上に滑って落ちてきてきやがった。助けるなら、自分の足場をしっかり確認して欲しいところである。
結局、俺とエナリは落ちた方向からは登る事を断念し、逆サイドから一度上がる事にする。
遺跡から着いてきた子供達は俺が遊んでいるのかと思ったのか、川にどぼんどぼんと飛び込んで泳いだりして遊びだしているので、俺もエナリも開き直って泳いで川の奥の方に言ったりして、落ちなかった人達が少しでも羨みそうな事をしてみるが、この川結構汚いのであまり羨ましがって貰えなかった。
その後、皆は子供達と遊びながら、俺とエナリの服が乾くのをまち、その後ホテルへもどった。
それにしても、転けた時に打った頭の方はそんなにでもないのだが、右脇肋骨が相当痛い。この感じ、ヒビぐらい入っている気がする。
あと水につかったカメラがアウトになってしまったのが、これまた痛い。充分乾燥するのを待ってスイッチを入れてみたのだが、ピクリとも動かなくなってしまった。おお、まだ旅はまだまだ続くのに。
そう言えば、さっきも言ったように、ベン・メリアで日本人が1人落下して骨折したという話を聞かされたが、今後はここに観光に来た人は、「この川で日本人が落ちた。」と説明されるかも知れないが、それは俺の事である。
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この後はフリー観光なので、皆で地雷博物館に行こうと言う事になり、タクシーを捕まえる。
しかし、運転手がなんか色々言って言う事を聞かず、代わりに戦争博物館に行くことに成ってしまった。
個人的にはどっちでも良いのだが、他のメンバーは結構立腹していたのだが、どうもあと知ったところ、地雷博物館の有る場所は、相当遠くであり、そこら辺の認識の違いで揉めてしまった様である。
博物館自体は特に感じるところは無く、ダラダラと見物してホテルに帰る。
ホテルの部屋に入ろうと鍵を回したら、鍵モゲてしまい、合い鍵もないと言うことで、1時間ほど待たされやっと部屋に戻ることが出来た。
それにしても、部屋で荷物を整理していたところ、どうもトラベラーズチェックが見あたらない。
そういや、タイで一度チェックして以来見てないのだが、何処に行ってしまったのだろう。入れてると思っていた財布に無いのだが、確か一度タイでそこから出した覚えがある。そのままホテルに忘れてきてしまったのか、それともこっちで無くしてしまったのか謎だ。
う~ん、T/Cなら再発行出来るのだが、どうもカンボジアでは出来ないらしい。次に向かおうと思っているラオスでも出来ない様なので、再発行するにはタイに戻るしかないのだが。う~ん、どうしよう。
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By 俺様 • 2007年 タイ・カンボジア・ラオス旅行 • 0