11月 3 2007
2007年11月3日(土) カンボジア(プノン・ペン) ハローゲストハウス
早朝、プノン・ペン行きの船に乗る。
乗船前に買っておいた水とパンが、船の減りを移動中、急に袋が破れて水没してしまい超悔しい。まぁ、今回は水没したのが自分やカメラじゃないだけ良しとしよう。
船は乗客が結構多く、その気になれば席が取れそうだが、屋根の上に乗ってる人も見かける。どうせ船旅ならそれも気持ちよさそうなので屋根に乗ってみるとする。
屋根の上の船旅は、見晴らしもいいし、風を受けて気分がよくて悪くない。ただ、さすがに1時間も過ぎると飽きてしまたので、そのまま横になって昼寝する。
しかしこれが大失敗。本日(いつもか?)カンカン照りであり、ものすごい直射日光を浴びる。半分寝ていたのでその間は気にならなかったものの、数時間、激日光を浴びて、到着した時には、全身是真っ赤のボディを手に入れてしまった。全身日焼けと言うより火傷に近い。日焼け止めも、帽子もしてなかったのは大失敗であった。ヒリヒリして凄い痛い。
プノンペンの町に上陸し、ハローゲストハウスをゲット。この宿も、結構有名なようだ。4$でFANだが、室内にトイレ、風呂(お湯なし)がついているし、中心地に有るのでなかなか良い。
荷物を置いたら、まず飯を食おうと外出する。
カンボジアと言えば、まだまだ治安が悪いと言うイメージがあり、入国前から警戒していたのだが、シェムリアプの町はぜんぜん問題ないレベルであった。
だが、誰に聞いても、やはりプノンペンは今でも危険で、夜などは近くで銃声がするので外出禁止だとか言う人が多いのだが、昼のプノンペンはそんな危険を感じさせなかった。観光客も多いし、賑やかである。
飯食った後は、バイクタクシーと交渉。1日5$と言うのだが、もう昼も大きく過ぎているので3$で交渉成立。
プノンペンの近郊では世界遺産のようなものは無い。しかし、キリングフィールドとトゥースレーン刑務所が有名である。ただ、有名であるものの、あまり見に行って気分の良いものでもなさそうであり、今回もそれゆえあまりプノンペンに来たいと思わなかった。ただ、町の雰囲気は見てみたかのと、昨日の宿の女将さんが、
「カンボジアは、アンコールワットなどの遺跡群と言う正の遺産と、トゥースレーン刑務所といった負の遺産を持っている。カンボジアに来たなら両方を見て欲しい。」
と話されてたので、行ってみる事にした。
キリング・フィールドと呼ばれる場所は、ポル・ポト支配下のカンボジアで、大量虐殺が行われた刑場跡の俗称であり、シェムリアプにも有った。しかしこのプノンペンのものがもっとも有名である。
キリング・フィールドは町の中心から結構遠いところにあった。
ぱっと見、公園のような所だが、ここで殺された人々の人骨が詰め込まれて、それもむき出しになっている慰霊塔があり、一歩踏み込めばこの異様な雰囲気が伝わってくる。
今までいくつか戦争関係のものを見てきたが、やはりこの慰霊塔から感じる圧力は凄いものがあるな。人骨なんてあまりに死と直結しているものを見せられるからだろうか。
ただ、この慰霊塔を見ないようにすると、やっぱりのどかな広場に見えなくも無いのだが、そこかしこの穴が、その人骨を掘り出した穴だと知ってると、のどかなんて言ってられん。
キリング・フィールドを出ると、バイクの運転手が、このあたりで「シューティング場があるけど行くか?」と言って来た。特に興味ないと答えたのだが、プノンペンへの町の移動中何度も言ってきて、「ここからならすぐそばだ。行こう。」と言ってきかないので、ちょっとのぞきに行くことに。…って思っていても、到着するなり、「さぁ、銃を選べ」と始まって、結局何発か撃つことに。
「日本じゃ銃を撃つなんてエキサイティングな体験、なかなかできないだろう?」
とか、係りの人はご満悦なのだが、俺は昔アメリカで撃った経験もあるので、さほどエキサイティングでは無かったのだがな。結局代金は$30もして後悔。T/Cも無くて懐が心もとないと言うのに。代金知ってたら来なかったぞ。
シューティングを出ると、プノンペンの町へ戻る。トゥースレーン刑務所は、町の近くにあるのだ。
トゥースレーン刑務所は、その名の通りポルポト時代の刑務所である。ここから先のキリング・フィールドへ運ばれて、大量の人が虐殺されたのである。
こちらは、んもういるだけで気分が重い。建物自体が廃墟であり、拷問の道具やら、壁や床のシミやら、それだけで暗黒的な雰囲気いっぱいである。
ここには、3年程の間に2万人が収容されて、そのうち生還できたのは8名かよ。もう、収容された地点でアウトである。こういうところを見るたびに、月並みだが、
「当時のカンボジアに生まれていたらどうなっていた事か…」
と思いを巡らさないわけにはいかない。俺の様な知識人は真っ先に収容されいたに違いない。
ずーんと沈んだ気分で、刑務所を後にする。
バイクで川沿いの道を流してもらい、店やらなにやらをざっと眺めて、本日の観光終了。
しかし、バイクの運転手が最後に5$にしてくれとゴネだした。…そのぐらい良いかとも思うのだが、シューティングに不本意な金を使ってしまい、あんたが誘わなければと言う気持ちもあり、あんたはそれで紹介料をゲットしてるはずだと思うと、素直に値上げしたくなく、そこら辺の意を込めて、4$+2000リエル支払う。
とりあえず、本日でカンボジアの世界遺産と負の遺産を両方見たし、あすの朝早くにバンコクへ向かうことにする。
と言うのは、例のT/Cの件で、ホテルを調べてみたいし、再発行するにしてもタイにもどらなくてはならない。あと、カンボジアで壊したカメラの保険申請のために、MPツアーにでも言って、第三者証明を書いてもらいたいと言うことがあるからだ。まぁ、全体の帰国前にタイには一度戻るので、そのときでもいいのだが、やっぱりT/Cに関しては、いろいろ探したいところがある。
タイまでのA/C Bus(15$)のチケットを購入たり、飯食ったりしたのち、少し夜のプノンペンを散策。
ふむ、中心地にいる限りは、昼と変わらず、さして危険はないようだな。やはりここ数年で治安も良くなってきてるのだろうな。
たった1日のプノンペンの街だったが、満足に過ごしたところで、明日に備えて眠る。
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11月 4 2007
2007年11月4日(日) タイ(バンコク):Khaosan Traveler’s Lodge
早朝タイに向けて出発。またもや数時間のバスの旅である。
プノンペン近郊の道は状態がよいのだが、例によって、タイとの国境までまだまだだいぶ先の時から道が酷くて難儀した。
行きにも経由した国境のポイペトまでの距離は、プノンペンからはシェムリアプからより相当遠い。こんな事なら、昨日は素直にパッタンバンまで船で行き、そこから国境に向かえばよかったのう。あの時はその後、北のラオスに向かおうと思っていたから仕方ないか。
まぁ、行きのようにタクシーの後ろに4人乗りではないのでだいぶマシだが。
国境でタイ側の乗り物に乗り換えたが、こちらバンコクまで、二階建てのエアコンバスで、シートも快適である。今回で一番良い乗り物だ。タイは道も綺麗だし安心して眠る。
夕方、バンコクに到着。
前回宿泊していたカオサン・トラベラーズ・ロッジへ向かう。
T/Cについて宿の人に聞いたり、心当たりのある場所を探してみたのだが、残念ながら見つからなかった。
ちなみに、旅の達人TYはまだこのホテルに泊まっていた。
とりあえず今日もここに宿を取り、その後MPツアーに行き、カメラ破損の第三者証明を書いて貰う。
さっき、T/Cの再発行の手続きにアメリカン・エクスプレスに電話をしようとしたのだが、公衆電話からコレクトコールへのかけ方が良くわからなかった。でも、電話番号はコレクトコールのものしかなく、手の打ち様が無かったのだが、そのことをMPツアーにの人に話した所、その人の携帯を貸してくれたでそれで電話したらつながった。
電話に出た人は英語だったのだが、「ジャパニーズ・スピーク・プリーズ」と言えば日本語対応のオペレータに繋げてくれるとパンフレットに書いてあったので安心して言ってみたのだが、なんか一方的に英語で捲し立てられた後に勝手に電話を切られてしまったぞ。どーなってんだ。もしや、俺の発音が悪くて「ジャパニーズ・スピーク・プリーズ」と言う英語すら通じなかったのだろうか。ちくしょう。
あとはタイのアメリカン・エクスプレスのオフィスに出向く事しか思いつかぬのだが、受け付けられても、発行まで数日かかるのではないか、という話なので今回はあきらめて、日本に帰国後に申請することにする。
なんか、昔コマーシャルで、
「トラベーラズチェック無くしたけど、翌日に発行されて、受け取りできたわ!」
と言うのを見たことあるんだが。あれ、アメリカン・エクスプレスだったと思うぞ。
ちくしょう。一度タイに戻ってきた甲斐が無いぜ。
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By 俺様 • 2007年 タイ・カンボジア・ラオス旅行 • 0