11月 18 2007
2007年11月18日(日) ラオス(ルアンバパーン):コールドリバーゲストハウス
今日は朝もゆっくりおきて、昼頃まで宿でダラダラ。
KSK、MSと一緒にクアンシーの滝を見に行く約束もあるので、彼らを探していたのだが昼間で見当たらず、そのうち、YSを見かけた。体調はだいぶ戻ったようである。なので、彼も一緒に、クアンシーの滝を見に行く事に。
宿まで迎えに来たバンに乗り、走ること数十分。結構遠くにそれはあった。
駐車場から滝に近づくまでに、滝の水が水がたまって自然のプールのようになっている泳げるポイントも沢山あり、水も綺麗だ。水着があれば泳ぎたい。
滝に近づくと、これはなかなかダイナミック。この滝は華厳の滝系の高いところから長く細く落ちる滝である。
「マジ、ヤベーっすよ。」
「チョー ハンパネー」
と、KSKとMSも大喜びなので、俺も、
「チョー マイナスイオン」
と話をあわせながら、滝のふもとから上を見上げて楽しむが、随分上方だが、人影がチラチラ見える。それを見つけたみんなは、
「あそこ行けるんじゃネ?登らねーとヤベーっすよ。」 「マジヤベーよ。チョー登りましょうよ」
と言ってるので、
「きっとあそこも、チョーマイナスイオン」
と話をあわせて、4人みんなで山登り開始。
この滝の周りは一応、登れるような道はできているのだが、しっかりしたものではなく、時には水の中に、時には滝の中に突入しながら進まなくてはならず、岩は濡れて滑るわ、相変わらず柵なども無く、結構危ない。
病み上がりの上に、革靴で来てしまったYSはげんなりしているが、
「チョー 楽しい」 「コレ ハンパネー」
とMSKとMSは大喜び、…と思ったが、表情を見るとちょっと無理している様に見えた。
道も良くわからず、時には岩をよじ登り、なんとか滝の中腹に到着。
そこはまだ目指す場所より低いポイントだった。木々に囲われて見晴らしはそんなに良くは無く、柵は無く滑ると言う相変わらず危険な上に、ここからでも落ちたら軽く3回は死ねる程の高さで、言葉どおりチョーヤバくて、チョーハンパネー感じである。何度も言うが、落ちるなら、ベンメリアの裏の川である。
しかし、目指していたポイントはもっと上であり、改めて登り始めるが頂上に着いたのだが、そこら辺につながる行き方が見つからなかった。また少し降りてうろうろしていたら、さっきチラチラ見えていていたと思われる人々が道なき場所から続々と出てきた。ちょっと素人には無理そうな道(が無いのだが)なので、我らもう疲れてもいたので、あっさりと断念した。しかし、あの人影は坊さん軍団だったようだ。なんのためにこんな所に来ていたのか謎だ。
みんなこの場所を、チョーハンパなく満喫したところで、宿に帰る。
この旅行代金は、ミニバン代40,000Kip/1人と、滝エリアの入場料に20,000Kip。
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この宿は、たまにフリーの夕食が出るのだが、今日がその日だったようで、ただ飯にありつく。野菜炒めのような物で、凄く美味い。非常に疲れていたことも有るのか、…そういや昼飯食ってなかったから腹が減っていたので、「ヤベー」「ハンパネー」とガッつきお代わりしまくりである。
食事の後は、昨日チェックインした何人かと話す。
彼らはバラバラで旅行していたのが、バンコクぐらいで話があって、ここラオスまで一緒に旅して来たらしい。メンバー各々が結構な経歴のバックパッカーで、わざわざ集団で動くのは余程気があったのか。
話が中南米の話になり、危ない目にあった事の話に及ぶ。
彼らの中で、南米に行ったことのあるのは、5人いるがそのうち4人が被害にあったらしく、「南米チョーヤバイ」らしい。本来の危ない意味でヤバイ。
いくつか実例を聞くと、
・カードのスキミングで100万円ほどの被害。
一気に下ろすと保有者に連絡が行くのでその限度額以内で使われ続け、気付かれるまで。ちなみにキャッシングに関しては保険が下りなかったらしい。
・刃物を突きつけられての強盗。
・船旅でハンモックで寝ているところ、バックパックを置き引きされる。
その他、本人が遭遇した事件ではなく、見かけた犯罪は数知れないとか。日中に鉄パイプでボコられている旅行者などは日常茶飯事であるそうな。
そんな彼らも、南アフリカのヨハネスブルグだけは、そんなの比べ物にならないほど、デンジャーだったと言っていた。誰が言ったか、「リアル北斗の拳の世界」と言われたりして、時はまさに世紀末で、暴力が街を支配しているらしい。彼らも、ビルから道を挟んだ向こうのビルに移動するのに、全力でダッシュするほどだったらしい。恐ろしい、恐ろしい世界だ。
あまり気にしてなかったが、知らぬうちにルアンバパーンに長期滞在してしまい、オレは帰国便の日から逆算するとそろそろタイに向かわなくてはならない。宿で、明日のビエンチャン行きのバスのチケット(140,000Kip)を購入。ここからなら飛行機も考えたのだが、今回もバスにした。雲に突入すると、機内に雲が入ってくると言う、うわさのラオス航空をそういった意味で体験してみたかったけどな。
YSは今日の夜からバスで、ベトナムのハノイに向かうとの事で、ここでお別れである。 YSと分かれた後は、一人で近くの赤十字のサウナに行った後、部屋に戻る。
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宿ではKSKが、旅の写真を全部入れていたUSBとSDのメモリがおかしいと言うのでチェックしてみる。話を聞くとフォルダのアイコンは見えるのに、その中が開けないんだとか。
それだけだと現象が良く解らないので、とりあえず俺のPCに繋いで観ると、ウイルスチェックソフトが反応した。USBはウィルス感染しているようだ。
そこで感染ファイルを削除したはずなのだが、何故か俺のPCも感染してしまった。おお、なんてこったい。
この感染してしまった俺の挙動の怪しいPCで色々調べた結果、このウィルスは以下のような現象の様である。
①感染したPCに繋いだUSBやSD等の外付けストレージのフォルダの1つをHidden属性にする。
②Hidden属性にしたフォルダと同名+.exeのファイルを作成する。このexeのアイコンはフォルダのアイコンに酷似している。
③このUSBやSDを繋いだPCのシステムを変更し、”拡張子の表示”をオフにする。また、システムフォルダ等の表示をオフにする。コレにより、①のフォルダを見えなくし、②の本当はexeである、偽フォルダをあたかも本物のフォルダの様に見えるようになる。
④このUSBやSDのルートにautorun.iniと、system.exeと言うファイルを作成し、繋ぐと自動実行でsystem.exeを実行する。これにより、繋がれたPCが感染する?
⑤④により、何か謎なexeを常駐させ、繋いだPCが以下のような動作になる。
1.タスクマネージャを表示できなくする。
2.msconfig.exeを起動するとシャットダウンする様にする。
3.DOS窓を起動しようとしても、すぐに閉じるようにする。
4.その他、システムのリカバリーに使用できそうなコマンドなどに細工をされる
また、コントロールパネル内のメニューもなんか色々消されてシステムの復旧ができなくなる。
5.ついでに、おそらくその監視アプリが重く、やけにマウスが動作中の砂時計になる。
ちょっと現象の起こる順番は定かではないのだが、こんな感じで、結局一回繋ぐごとに、フォルダが1つ隠されて、偽exeのフォルダが増えて行き、端から見ると、「フォルダが開けなくなっていく」と言う状況になって行くのである。
データ自体を削除しないものの、ここまで色々やるとは性質が悪いな。なんといっても、繋いだPCの方のシステム設定をいじられ、その設定を戻する手段が色々封じられているので、如何ともしがたい。
試しにセーフモードで立ち上げると、⑤の常駐ソフトだかサービスだかは起動されないようで、MS-DOSが起動できたので、それを用いてKSKのSDとUSBだけは正常に戻すことに成功。なんとか対面は保てたぞ。
あとは、自分のPCの修復である。
MS-DOSやら、msconfigやらシステムの復元やら、あの手この手と浮かぶ手を打つが、どれも封じられている(この過程で、①~⑤の現象がわかった)。
まわりから見ると、俺はなんかカチャカチャ打ったり、何回も再起動したり、何やってんだという感じであろうが、こちとら息を呑むような知能戦である。まるでLとキラ。
まさか、KSKがこのウィルスを作って、旅で会う人を試して、今は横で俺の様子をみてほくそ笑んでいるのでは…、なんて、小説のような事を考えるが、そうだったらまさにLとキラだな。
KSKのこの現象はバンコクで始ったらしく、それから色々な場所のネットカフェで試したので、色々な場所に被害を広げた可能性があるな。
結局、俺のPCの方は復旧できなかった。しかし、元々のターゲットである、SDとUSBのメモリーは完全に修復したので、この戦いは俺の勝ちである。へっ、このウィルス作成者もたいした事ねぇな。バーカ、バーカ。
それにしても、PCが復旧出来ないのはちとウザイ。う~ん、旅先だがリカバリーすっかな。このPC内部にリカバリ領域を持っているし。色々なアプリのインストールができないのが嫌だが。う~む、キラめ。
まぁ、ひとまず解決と言う事で、彼らにも明日はおれはビエンチャンに向かうとつげ、お別れを惜しむ。彼らはこれからもしばらく二人で旅するらしい。ラオスにはもう少し滞在するとか。
今までの旅の話もして、川に落ちてカメラが壊れた話をする。このカメラ、今もスイッチを入れてみたが、ピクリともしない。KSKが見せてくれと言うので、渡したところ、彼がスイッチ押してみた所、
ヴィ~~ン
と動き出した。「!?何故に?たった今俺が試してだめだったのに!」と全員爆笑。
動き出した物の微妙にレンズカバーが開き切らないし、閉まりきらないのだが、これなら十分撮影も可能であり、非常にうれしい。触るだけで直すとは、何というゴットハンドだ。
お別れ前に、KSKはメモリの恩を、しっかり返してくれたのだった。
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11月 19 2007
2007年11月19日(月) タイ(ノンカーイ):メコン川沿いの汚いGH
ウィルス感染しておかしくなったPCの事を考えながら悶々と考えながら寝たせいか、ヤケに早朝に目が覚める。しかし、寝ているうちに修復のアイデアが浮かんで頭に残っていた。
それは、『セーフモードで起動してから、msconfig経由で「システムの復元」を行う』と言う方法だ。今の状態だと、普通に起動すると、システムの設定ができるコマンドやツール類は片っ端からブロックされている状態であり、当然の様に「システムの復元」に関しても、スタートメニューのシステムツールの中から消えており、実行する事ができなかった。
ただ、昨日セーフモードで立ち上げた後は、MS-DOSも実行できたし、msconfigも実行できたので、msconfigのメニューからシステムの復元を実行する事ができるかもしれない。
と言う事で時間も有るし、早速試してみると、無事修復成功!フハハハ、キラもたいしたことねぇな。バーカ、バーカ。
「システムの復元」を使って、おかしくなったPCを元に戻せたのは初めてだな。いつも結局なんだかんだダメなのだが。
しかし、今回も少々気になる点は残っている。このシステムの復元って、何をどのような形で保存したのをどのように戻すのか得体が知れぬのである。システムの復元と言っているぐらいなので、”システム”の復元をするはずである。しかし、色々見てみると、設定をiniファイルに残している様なアプリケーションのiniファイルまで、昔に戻されているように思えるのだが。システムと関係ないものまで戻してしまうんだろうか?なんか、色々テキストファイルやら、メールのデータやらと言った、更新したファイル等まで戻されていたらスゲー嫌だが、大丈夫だろうか。何か気持ち悪いのう。
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そんなこんなしてるうちに、今日乗るバスのターミナルまで迎えのTukTukが到着したので乗り込む。
ターミナルではTukTuk運転手が予約されていたチケットを窓口で受け取り(なんかその場で購入しているだけのような気がするが)俺に渡してくれた。そのチケットの代金が窓口に張って有るのでわかるのだが、価格は115,000Kip。俺の手配した宿(他のツーリストオフィスでも同額)では、140,000Kipなので、差額25,000Kipか。手数料と、ターミナルまでのTukTuk代にしては高いが、そういう相場なのだろう。ちなみに、このバスには水と昼食付きと言われたが、それはこのVipバス自体に付いているサービスで、別に宿での手配のたまものではない。
バスに乗り込み、再び、「フラフラだったよ」「きもちわるくなる」の9時間のバスの旅スタート。
しかし、今回のバスは、VIPバスである。VIPのバスは経験済で、良さを知っているので、『このVIPっぷりが、時間や悪路をカバーしてくれるぜ!』と思ったのだが大間違い。いや、他の客にはそうだろうが、俺に限ってVIPではない。何故かと言うと、俺の前の席のリクライニングが壊れており、通常の2倍ほど後ろに倒れるため、俺の眼前まで前の背もたれが迫っているのである。しかも、その座席は半分壊れている状態であり、それ以上倒れない様に、何かが辛うじて支えているようなのだが、それもなんかグラグラしていて、いつ、バキッっと壊れて後ろにガーンと倒れてくるかわからぬので、ドキドキである。
これって、普通のローカルバスより狭いのだが。しかもバスは満席で移動できぬし。今までの中で一番窮屈なバスの旅となった。なんで俺だけ。
このバスはVIPバスだから値段は高めで、ラオス人はあまり乗ってない。バス自体がVIPで結構乗り心地が良い(俺の席を除く)ので、吐く人はいないかと思われたのだが、俺の通路挟んで横の外人カップルの男がゲロゲロ吐き出した。
彼は最初は袋に吐いては外に捨てていたのだが、いよいよ袋がファイナルになったらしく、捨ててしまったら次に吐く袋がないので、ずっとそれを使い続ける事になったようだ。その袋はコンビニ袋程の大きさで有るのだが、すでにマックスでタップンタップンである。身体がでかいだけあってゲロも多いようだ。しかし、そのタップンタップンのゲロ袋が、破けたり破裂したりしないか、すげぇハラハラする。幸い溢れる前に、なんとか吐き気はおさまっているようなのだが、彼が放心状態で握りしめているゲロ袋が心配である。なんか、チョット引っかけでもしたら、穴でも空いて俺の方にぴゅーっとか飛んできそうで怖い。
前は相変わらずグラグラの背もたれが迫っているし、横からはゲロが飛んできそう。前門の背もたれ、横門のゲロ。本当に、なんでこれだけ席が沢山あるのに、俺だけこんな目に会うのだろうか。本当にこの手の事についてないのである。
バスはバンビエンで一度停車。嬉しい事にゲロカップルもここで降り、他の客も半数ぐらいがここで降りた。
ようやっと、席を移動することが出来た。うおー、前面がすげー広い。横からゲロの心配もないし、これならVIPと言っても過言ではないぜ!つか、VIPバスなんだから当たり前だぜ!
それにしても、バンビエン。ここにも少し滞在したかったな。話を聞くと、ここも特に見所はないという、とてもラオスっぽい土地であるのだが、景色などが楽しいらしい。山が釣り鐘形しているので、漫画っぽい山でであり、「ドラゴンボールの様な世界だった」と言っている人がいたが、それは素直に中国に行った方が良いと思った。
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18時頃ヴィエンチャンに到着。
ここは2つバス停があるので、自分が何処にいるのか大いに悩み、、何とか行きと同じT2ターミナルにいる事が判明。そこで乗り合いソンテウで、タラート・サオまで移動する。ここから、タイのノンカーイまで行く国際バスが出ているのでこれに乗る。なんか特別料金がいるらしく、15,000+3,000=18,000
Kip。
ヴィエンチャンを出発すると、直ぐにタイ-ラオス間の国境に到着。
銀行があるので、ここで残ったKipをバーツにでも換えておこうと思ったのだが、なんか「VISAは取ったのか?」と聞かれ取ってないと言うと、それにKipが必要なのでそれを払ってから又来てください、と言われる。VISAは要らない筈なんだが…。
復活したカメラで、イミグレーションを撮影
良く解らないまま、ラオスのイミグレーションをでて出国し、チョット進むと、OVERTIME FEE で2,500Kipを支払わ無ければ成らない所があった。銀行員は、コレのことを言っていたのかもしれない。
しかし、ここから今更さっきの銀行に戻ると、出国したのにラオスに戻ることになる。それって良いんだかどうか不安だし、あまり時間を掛けていると、タイ側で待っているバスを待たせてしまうし、タイ側でも換金できるだろうと思って諦める。
タイ川で待っていたバスに乗り、有効橋をわたりタイのイミグレーションへ。無事入国したが銀行が見あたらず。この後バスが向かうノンカーイの街なら、ラオスに近いし、換金は出来るだろうと思って諦める。
国境から走ることしばし、ノンカーイに到着。相変わらずバスが到着すると現在地が解らん。
ここからの行動だが、希望としては鉄道でバンコクへ向かい、可能であればアユタヤで途中下車して観光できればと思っている。なので鉄道の駅を探したいが、結構離れているらしく、どちらにしろ今日はもう列車がないらしいので諦めてこの町で一泊することにする。気付はもう日が完全に暮れてるな。
メコン川沿いにゲストハウスがあるようなので、そっちに向かおう。
相変わらず現在地がわからないのだが、取り敢えず北に向かえばメコン川にでる。う~む、あの川の向こう側はラオスなんだなぁ。
川沿いを歩き、ガイドブックにあった宿を訪ねてみるが満室。次に目を付けていた所へ行く途中に、GHがあったのでチョット覗いてみる。ダブルで200Bだと言うが、シングルの120Bもあるらしい。つか、俺は1人なんだから、最初からシングルを紹介しろ。
なんかあまり気に入らない感じだったが、なんか疲れたし、次の候補GHも満室だったりしたら面倒なのでここにする。トイレ・シャワー別。水シャワー。
荷物を置いて晩飯を食いに出掛ける。
さっき行く予定だった、メコンゲストハウスに通りがかり、1Fがレストランだったのでそこで飯を食う事にする。こっちのGHは外見が凄い綺麗で、飯も食えるし、バスや列車の手配も出来るみたいだ。あぁ、やっぱりこっちにすればよかったか。
飯の後に、ついでに明日の列車のチケットを取れるか聞いてみたら、今日はもう遅いので明日の8:30以降に来いと言われる。「ここで列車のチケットは買えるのか?」と聞くと「買える」と言われた。良かった鉄道の駅まで遠いし、ここでチケットが買えれば安心であるな。朝いちでチケットを手に入れて旅立つとしよう。
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By 俺様 • 2007年 タイ・カンボジア・ラオス旅行 • 0