本日の予定は、ジャイプールを去る前に、風の宮殿を外から見学。
その後アーグラーに向かい、ファテープール・シークリと言う都跡及び、タージ・マハルと言う王妃の墓の見学となる。
風の宮殿
1799年にサワイ・プラタープ・シンが建造。
5階建ての見事なラージプート様式の建物で、ピンクの外観が印象的だ。通りからみると大きく見えるが、建物の奥行きはない。テラスには細かな幾何学的模様が施され、透かし彫りのスクリーンがはめ込まれている。これは、女性たちが姿を隠したままで外界をのぞき見るための工夫だが、同時に吹き込んでくる風の温度を下げるエア・クーラーの機能も果たしていた。 |
車で少し移動すると風の宮殿に到着。
正面から見ると派手にでかいのだが、奥行きが無くまるで無く、正面から風を受けたら倒れちまんじゃないだろうかと思ってしまう。
ここは中には入らず、ダーラムさんの解説を聞いた後、外から見学して終了。 中は特にみる物は無いそうだ。
サッサと見学をすませ、再び車で出発。 昨日と同じく、午前中いっぱい車で移動となるのだ。
移動中ずっと俺様の腹はボコボコ沸騰しているかのような音をたてている。 その、上気持ちも悪くて眠ろうと思うのだが眠る事もできず、ただひたすら脂汗を流しながらひたすら耐える。 まさにスペランカー並みの体力で、今なら膝の高さの穴に落ちても死亡するに違いない。
(苦痛で移動中の景色などの記憶なし。Tの話では我らの車は人を轢きそうになったりしたらしい。)
ふと気づくと、アーグラーに近づいたそうで、休憩所にて一休みするため、車が停止していた。
トイレに行って出し出すと止まらなくなる恐れがあるので、とりあえずトイレには行かずに席に着く。
「お腹には、ラァイムティーがいーちばんヨォ」
と言うダーラムさんの薦めに従い、ライムティーを飲んでみる。 うーん、なんかちょっと気分はよくなった気がする。
しばらくしてTがトイレから戻ってきた。
「このトイレにもチップをせびる子供がいたよ。」
とか言いながらTがトイレから戻ってきた。 なんか入り口あたりで、手を拭く紙を渡す少年がおり、去り際にチップを受け取ろうとしてきたので、強行突破してきたらしい。 うーむ、この場合はチップを渡すべきじゃないだろうか? 紙とか受けとってんだし。
しかし、イマイチどう言うときにチップを渡すもんかはっきりしないので、こういう場合どうかダーラムさんに聞いてみる。 すると、こういう場合は(インド人でも)普通あげるもんなのだそうだ。 Tは、「うーん、そうか。 そいつは悪い事をしたなぁ。 次の便所では渡すようにしよう」とか言っていた。
休憩の後旅立つ前に、念のため出し切りにトイレに行く。 Tもまたトイレに行く。 少年にチップを渡してトイレを出るが、Tがまだ出てきておらず外で待つ。 しばらくしてTが出てきたので、「今度はちゃんとチップあげたか?」と聞くと、「やらなかった。やっぱりなんか勿体ない」とか言っていた。 短時間にしかも2度も大便で利用したんだからやりゃいいのに。 10Rsなんて30円ぐらいだし。
再び出発し、しばらく車を走らせると、アーグラーに突入した模様。
アーグラー(AGRA)
ウッタル・プラデーシュ州西部のヤムナー河畔に位置する人口120万ほどの街。 1526年にムガル皇帝バーブルが都に定め、以後、アクバル帝、ジャハンギール帝、シャー・ジャハーン帝の統治下にあった約100年の間に繁栄を極めた。 いまもこの時代に築かれた建造物が観光スポットとして人気を集めている。 その代表が街の南東部、ヤムナー川沿いに建つタージ・マハールだ。 |
そこで最初の観光地である、ファテープール・シークリに到着する。
ファテープール・シークリ
シークリ村に築かれたファテプール(勝利の都)で、短命に終わったムガル朝の都跡。 言い伝えによれば、男児に恵まれなかったムガル朝第三代皇帝アクバルは、ある日シークリ村に詣でた際、村の聖人を訪ねて悩みを打ち明けた。聖人が「男の子が3人授かるだろう」と予言すると、翌年男児が誕生。これにひどく感心したアクバルは、シークリ村に都を建設する事にしたのだという。
街は1571年から都として昨日したがあいにく水の便が悪かったために枯渇、1585年、皇帝はやむなくラホール(現パキスタン領)に遷都し、都跡は放置された。 |
車を降りるとカンカン照りでクラクラ。 下痢でフラフラ。 吐き気でヨロヨロ。
しかも、ファテープール・シークリーは都跡であり、広さは凄いが、建物そのものが残っているだけである。 内装は無く壁むき出しである。 特に博物館の様な物もないので、ただフラフラ、ヨロヨロと歩き回って見て回るだけである。
元々はどんな内装がされていたのだろう。 ドアもついていたのだろうか?
ほどよく見学した後、ファテプール・シークリを後にする。
この近くの村には何故か熊をつれたインド人が多くいたのが印象深い。 見せ物なのだろうが、3~4回見かけたので、かなりの熊使い率である。
熊は馬の手綱のような感じの物で口を括られているが、そこからでている紐一本で人に連れられている。 まるで犬である。 そんなんで本当に大丈夫なのか非常に気になるところである。
しばらくしてホテルに到着。 今は1時を過ぎている。
ここで一度ダーラムさんと別れ、遅めの昼食を摂りってくつろいだぎ、3時頃タージ・マハールに向かう予定である。
昼食はほとんど食欲無し。 しかし、下痢時は水分を摂らないと脱水症状になってしまうので、ここでもライムティー等を飲んで過ごす。 しかし、近くにおいてあるペプシが、ヤケに美味そうに見えるので、それを注文しようとすると、
「駄目だ。 ペプシはおそらく別料金だ。 別料金を払うやりとりも面倒くさいし、その上ホテルのは値段が高い!」
等と、Tは酷い事を言うのである。 体調の悪い俺様をいたわる優しさは無いのか。
「んなもの自前で払うわい! あとやりとりも何も俺がやる!」
と言い放って、まだブツブツ言っているTを尻目にペプシを頼みそれを飲む。
するとどうした事だろうか、ヤケに腹の中がすっきりしてきたのである。 もちろん下痢が止まっている訳ではないのだが、気持ち悪さがスーッととれていったのだ。 なんかわからんが、体が欲しているものゆえ、ヤケに美味そうに思えたのだろうか。 何はともあれ、よい事である。
その後部屋に戻り、約束の時間が来るまで休む。 部屋は高い階だったので、部屋から遠目にタージ・マハールが見えるので、遠目にそれを観賞。 もちろんトイレにもTと代わる代わる何度も行く。
Tの下痢も絶好調であり、部屋の外まで音が聞こえてくる。 まるでシャワーを浴びているかのような音が聞こえてくるのだ。 俺のがトイレから出ると、
「おまえ、下痢なんだか、シャワー浴びているんだかわからない音が聞こえてくるぞ」
とT。 やはり同じ事を思っていたか。 そいつはお互い様だ。
それにしてもこれが新婚旅行のカップルだったりしたら非常に気まずい思いをしそうだな。 新婚旅行にはインド禁止である。 いや、こんな事で駄目になるようならこの先も駄目な気がするので、逆に最初の試練として良いのかもしれんな。
そんなこんなで、トイレとベッドを行ったり来たりしながら身体を休め、いよいよ観光の目玉である、タージ・マハールへ向かうのである。 Tはここを見学するためにインドに来たと言っても過言ではないのだ。
俺は未だに、『写真でよく見るよね』と言う程度の感想しか無いのだが。
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5月 1 2001
2001年5月1日(火) エレガントインド旅行(16):アーグラー突入
本日の予定は、ジャイプールを去る前に、風の宮殿を外から見学。
その後アーグラーに向かい、ファテープール・シークリと言う都跡及び、タージ・マハルと言う王妃の墓の見学となる。
風の宮殿
1799年にサワイ・プラタープ・シンが建造。
5階建ての見事なラージプート様式の建物で、ピンクの外観が印象的だ。通りからみると大きく見えるが、建物の奥行きはない。テラスには細かな幾何学的模様が施され、透かし彫りのスクリーンがはめ込まれている。これは、女性たちが姿を隠したままで外界をのぞき見るための工夫だが、同時に吹き込んでくる風の温度を下げるエア・クーラーの機能も果たしていた。
車で少し移動すると風の宮殿に到着。
正面から見ると派手にでかいのだが、奥行きが無くまるで無く、正面から風を受けたら倒れちまんじゃないだろうかと思ってしまう。
ここは中には入らず、ダーラムさんの解説を聞いた後、外から見学して終了。 中は特にみる物は無いそうだ。
サッサと見学をすませ、再び車で出発。 昨日と同じく、午前中いっぱい車で移動となるのだ。
移動中ずっと俺様の腹はボコボコ沸騰しているかのような音をたてている。 その、上気持ちも悪くて眠ろうと思うのだが眠る事もできず、ただひたすら脂汗を流しながらひたすら耐える。 まさにスペランカー並みの体力で、今なら膝の高さの穴に落ちても死亡するに違いない。
(苦痛で移動中の景色などの記憶なし。Tの話では我らの車は人を轢きそうになったりしたらしい。)
ふと気づくと、アーグラーに近づいたそうで、休憩所にて一休みするため、車が停止していた。
トイレに行って出し出すと止まらなくなる恐れがあるので、とりあえずトイレには行かずに席に着く。
「お腹には、ラァイムティーがいーちばんヨォ」
と言うダーラムさんの薦めに従い、ライムティーを飲んでみる。 うーん、なんかちょっと気分はよくなった気がする。
しばらくしてTがトイレから戻ってきた。
「このトイレにもチップをせびる子供がいたよ。」
とか言いながらTがトイレから戻ってきた。 なんか入り口あたりで、手を拭く紙を渡す少年がおり、去り際にチップを受け取ろうとしてきたので、強行突破してきたらしい。 うーむ、この場合はチップを渡すべきじゃないだろうか? 紙とか受けとってんだし。
しかし、イマイチどう言うときにチップを渡すもんかはっきりしないので、こういう場合どうかダーラムさんに聞いてみる。 すると、こういう場合は(インド人でも)普通あげるもんなのだそうだ。 Tは、「うーん、そうか。 そいつは悪い事をしたなぁ。 次の便所では渡すようにしよう」とか言っていた。
休憩の後旅立つ前に、念のため出し切りにトイレに行く。 Tもまたトイレに行く。 少年にチップを渡してトイレを出るが、Tがまだ出てきておらず外で待つ。 しばらくしてTが出てきたので、「今度はちゃんとチップあげたか?」と聞くと、「やらなかった。やっぱりなんか勿体ない」とか言っていた。 短時間にしかも2度も大便で利用したんだからやりゃいいのに。 10Rsなんて30円ぐらいだし。
再び出発し、しばらく車を走らせると、アーグラーに突入した模様。
アーグラー(AGRA)
ウッタル・プラデーシュ州西部のヤムナー河畔に位置する人口120万ほどの街。 1526年にムガル皇帝バーブルが都に定め、以後、アクバル帝、ジャハンギール帝、シャー・ジャハーン帝の統治下にあった約100年の間に繁栄を極めた。 いまもこの時代に築かれた建造物が観光スポットとして人気を集めている。 その代表が街の南東部、ヤムナー川沿いに建つタージ・マハールだ。
そこで最初の観光地である、ファテープール・シークリに到着する。
ファテープール・シークリ
シークリ村に築かれたファテプール(勝利の都)で、短命に終わったムガル朝の都跡。 言い伝えによれば、男児に恵まれなかったムガル朝第三代皇帝アクバルは、ある日シークリ村に詣でた際、村の聖人を訪ねて悩みを打ち明けた。聖人が「男の子が3人授かるだろう」と予言すると、翌年男児が誕生。これにひどく感心したアクバルは、シークリ村に都を建設する事にしたのだという。
街は1571年から都として昨日したがあいにく水の便が悪かったために枯渇、1585年、皇帝はやむなくラホール(現パキスタン領)に遷都し、都跡は放置された。
車を降りるとカンカン照りでクラクラ。 下痢でフラフラ。 吐き気でヨロヨロ。
しかも、ファテープール・シークリーは都跡であり、広さは凄いが、建物そのものが残っているだけである。 内装は無く壁むき出しである。 特に博物館の様な物もないので、ただフラフラ、ヨロヨロと歩き回って見て回るだけである。
元々はどんな内装がされていたのだろう。 ドアもついていたのだろうか?
ほどよく見学した後、ファテプール・シークリを後にする。
この近くの村には何故か熊をつれたインド人が多くいたのが印象深い。 見せ物なのだろうが、3~4回見かけたので、かなりの熊使い率である。
熊は馬の手綱のような感じの物で口を括られているが、そこからでている紐一本で人に連れられている。 まるで犬である。 そんなんで本当に大丈夫なのか非常に気になるところである。
しばらくしてホテルに到着。 今は1時を過ぎている。
ここで一度ダーラムさんと別れ、遅めの昼食を摂りってくつろいだぎ、3時頃タージ・マハールに向かう予定である。
昼食はほとんど食欲無し。 しかし、下痢時は水分を摂らないと脱水症状になってしまうので、ここでもライムティー等を飲んで過ごす。 しかし、近くにおいてあるペプシが、ヤケに美味そうに見えるので、それを注文しようとすると、
「駄目だ。 ペプシはおそらく別料金だ。 別料金を払うやりとりも面倒くさいし、その上ホテルのは値段が高い!」
等と、Tは酷い事を言うのである。 体調の悪い俺様をいたわる優しさは無いのか。
「んなもの自前で払うわい! あとやりとりも何も俺がやる!」
と言い放って、まだブツブツ言っているTを尻目にペプシを頼みそれを飲む。
するとどうした事だろうか、ヤケに腹の中がすっきりしてきたのである。 もちろん下痢が止まっている訳ではないのだが、気持ち悪さがスーッととれていったのだ。 なんかわからんが、体が欲しているものゆえ、ヤケに美味そうに思えたのだろうか。 何はともあれ、よい事である。
その後部屋に戻り、約束の時間が来るまで休む。 部屋は高い階だったので、部屋から遠目にタージ・マハールが見えるので、遠目にそれを観賞。 もちろんトイレにもTと代わる代わる何度も行く。
Tの下痢も絶好調であり、部屋の外まで音が聞こえてくる。 まるでシャワーを浴びているかのような音が聞こえてくるのだ。 俺のがトイレから出ると、
「おまえ、下痢なんだか、シャワー浴びているんだかわからない音が聞こえてくるぞ」
とT。 やはり同じ事を思っていたか。 そいつはお互い様だ。
それにしてもこれが新婚旅行のカップルだったりしたら非常に気まずい思いをしそうだな。 新婚旅行にはインド禁止である。 いや、こんな事で駄目になるようならこの先も駄目な気がするので、逆に最初の試練として良いのかもしれんな。
そんなこんなで、トイレとベッドを行ったり来たりしながら身体を休め、いよいよ観光の目玉である、タージ・マハールへ向かうのである。 Tはここを見学するためにインドに来たと言っても過言ではないのだ。
俺は未だに、『写真でよく見るよね』と言う程度の感想しか無いのだが。
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By 俺様 • 2001年 エレガントインド旅行 • 0