2007年11月21日(水) タイ(アユタヤ):SKゲストハウス

 

今日も相変わらず早く起きた。時計を見るとやっぱり5時頃。今日もアジアで5時。恐るべし俺の体内時計。

今回の旅行ではアユタヤに行くのも1つの目的だった。
しかし、なんか何時のまにやら時が経ち、明日の深夜には帰国のために空港に向かわなくてはならない。あと1日しか余裕が無く、行こうかどうしようか悩ましい。前回のタイ旅行での経験上、なんかアユタヤに対して苦手意識ができてしまっており、今回も何かにつけて、アユタヤを経由しようと思ったものの上手く行かず、「俺はアユタヤには呼ばれていないのかも知れない」と思わなくもない。
もう少し時間に余裕が有れば迷わず行くところだが。つっても、バンコクに2日いてもする事無いし、出来るだけやってみる事にする。

チェックアウトして、まずバンコク北ターミナル(モーチット・マイ)に移動。
ロカールバス(18B)を使ってみる。乗るバスは間違いない509番だが、来たターミナルはこのバスの終点ではないので降りるところが解らずドキドキするぜ。
地図をにらみつけながら走行中の場所をチェックを試みるのだが、バスは相変わらず路線通りに走らず、運転手のアドリブでコースが変わるので、途中で全然解らなくなってしまった。
今回は車掌さんに、ついたら教えてとお願いした上に、その横にずっと立ってた事もあるが、ちゃんと下ろしてくれた。
それにしても、カオサンでこのバスに乗ったとき、バスが凄い混んでいて、変な体勢で壁を抑えていたら、揺れた弾みで指を切ってしまって痛い。その後、手すりをつかんでいたのだが、逆手持ちをしていたら開く扉と挟まって擦り傷&打撲。つか、持ち方によっては、下手をすると手の甲を骨折する様な角度だった。アブねぇ。バスに乗るだけで、なんでこんなに怪我をするのか、「やはりアユタヤに無理に向かっているからか?」とチョット気持ちが萎える。

バスターミナルにつくと、昨日の窓口でアユタヤ行きのチケット購入。9:20発で、1.5時間ほどで到着する予定。50B也。

SKゲストハウス

SKゲストハウス

乗るバスを見ると、今回のバスはVIPバス的なしっかりとしたバスであり、しかもアユタヤが終点らしい。バスにもしっかりBANKOK->AYUTTAYAと書いてある。コレなら降り損ねる心配もあるまい。と安心して乗り込む。
バスは相変わらず途中で人を乗せながら進み、そのうち俺は寝てしまったのだが、アユタヤに着いたと言って起こされる。うむ、さすがアユタヤ行きのバスだ。寝ていても行きすぎることがない。

11時前だが、なんかあっけなく到着してしまったな。来て良かったか。
それにしてもバンコクからトータルで、68Bか。日本円にして210円ほどで、丁度日本のバスと同じ値段だが、そんな値段でこんな所まで来れてしまうとは、相変わらずタイのバスはリーズナブル。タクシーだったらカオサンから、ファランポーンの駅の辺りまでしかいけないところだ。
これで乗り降りをもう少し解りやすくして貰えると、言うことが無いんだがな。

それにしても、目的地に着いた物の、またまた何処にいるのか解らぬ。
ガイドブックに乗っているバスターミナルかと思って道を歩いてみるが、どうも様子が違う。どうやら、このバンコクからのバスは一般のバスターミナルとは違うところに停まるようだ。帰りのこともあるので覚えておこう。

                   アユタヤを歩いていると、                   そこかしこに遺跡がニョキニョキ                   右の仏塔がワット・ラチャ・ブラナ

アユタヤを歩いていると、そこかしこに遺跡がニョキニョキ。右の仏塔がワット・ラチャ・ブラナ

                   ワット・プラ・マハタート

ワット・プラ・マハタート

今日は、ラオスであったMSとKSKが、ラオスに来る前に泊まっていて、凄い良かったと勧められた、SKゲストハウスと言う所にする。宿の女将さんが特にいい人だとか。
宿に来てみると、部屋はとても綺麗である。宿の女将さんはソンキットという名前で、確かに凄い良い感じの人であるので、ここに停まることにする。室内に、トイレ・シャワー(水のみ)付きで、1泊180B。

荷物を置いて、何処を見に行こうかとガイドブックをチェック。フロントの所に、「タイ語の指さし会話帳」が置いてあったので、それも眺めていた所、「タイ語覚えるんですか?」と話しかけられる。みると、俺がチェックインした時に、ここら辺に座ってニコニコしていた人だ。何故かてっきり、現地人かと思ってたのだが、どう見ても日本人だな。彼はAKRと言い、この宿の常連との事だ。
彼は、しょっちゅうここに来て泊まっていて、アユタヤ観光もやりきっているので、今回も数日前に到着して以来、観光に出掛けずに宿でノンビリ過ごしているとの事である。他にする事もないので、タイ語を宿の人に習ったりして過ごしているとか。

AKRと話をしたり、観光の計画を立てる。腹が減ったと言ったら、この宿でも飯を作ってくれるらしいので、昼飯を注文する。ここではメニューなどはなく、食べたいものを言えば作ってくれると言う。特に言わないと向こうでセレクトして作ってくれるらしく、その方が嬉しいな。今回は、「タイフードか?西洋フードか?」と聞かれたので、タイフードと答えたら、トム・ヤン・クンが出てきた。美味い。

                   ワット・プラ・マハタートにある                   樹木に取り込まれた仏像

ワット・プラ・マハタートにある、樹木に取り込まれた仏像

                   注意書き。日本語もしっかり。                   やはりこうやって注意しないと、                   首のない仏像の後ろから頭を出して                   写真を撮る等する人が絶えないようだ。

注意書き。日本語もしっかり。やはりこうやって注意しないと、首のない仏像の後ろから頭を出して写真を撮る等する人が絶えないようだ。

飯を食った後は、宿のレンタルサイクル(50B)で観光にスタート。
あの宿に着く前に、半分迷子になっていた時にチラチラ見えて、目印っぽくしていた、ワット・ラチャ・ブラナに行く。30B。ここ、わざわざ中に入らなくても外から丸見えではある。でも、中は結構広く、まさに遺跡という感じで頼もしい。
しかし、入り口に大きいバスが数台停まっていて、見ると日本人観光客の集団の様である。それも2、3集団であり、そのうち合流してしまい、一気に観光地の様相を呈してきた。

観光客メンバーと少し会話になり、「日本の観光団体ですか?」と聞いたら、 「そうや、あいむ・じゃぱにーずや!」とその内の一人が言い出した。そして、

 「なんやテレビか?」

とか言い出すので、「何の事です?」ときくと、「一人旅なんて、テレビやろ!」とか言いだし、本気で言っているのか、ボケなのか解らないのだが、本気で言ってるなら、お前何時代の人間かと問いたいし、ボケだとしたら面白くない。それに、こいつさっきからスゲェ態度が横柄であり、話して失敗である。取り敢えず関西人が一番堪えると言う、ボケ放置と言う対応して、奴から離れることにした。

しかし、ここは他にも集団もいて、塔に上る階段も混雑して参った。少し来る時間が遅かったか。
このままでは、次に向かう隣のワット・プラ・マハタートにも一緒に移動してしまいそうなので、ここはササッとみて、先んじてワット・プラマハートに向かう事にする。

隣の、ワット・プラ・マハタート(30B)に行くと、他の日本人観光団体がまた数団いた。
他の観光地では、ココまで沢山の日本人団体は見なかったのだが、どうもアユタヤは大人気のようだ。特に年配の人達が多い。確かに、こっちのワット・プラ・マハタートも見応えがあり、楽しいので気持ちも分かる。日本人受けする遺跡なのだろう。多分、うちの親父も興味があると思う。


プラ・マハタートを出ると西に進み、そこからぐるっと右回りに島を旋回しながら、ヴィハーン・プラ・モンコン・ホビット、ワット・プラ・シーサンペット、スリヨータイのチェディと見ながら、例によって『みんな同じに見えてくる病』が発症。
それでもここに来たからにはなるべく色々観なくては、と言う貧乏根性から来る義務感に駆られながらも、途中の広場で昼寝をしたり、サイクリングをしたりして過ごす。

ヴィハーン・プラ・モンコン・ホビット

ヴィハーン・プラ・モンコン・ホビット

                  ワット・プラ・シーサンペット

ワット・プラ・シーサンペット

アユタヤは遺跡をちょっと離れると、日本人もそうだが、他の外国人も少なく、非常に呑気な街であるな。

島を出て、日本人町跡にでも行こうと思ったのだが、東側唯一の橋が、なんか自動車専用道路っぽくて、自転車で渡って良いのか非常に怪しい。日本だったら絶対無理な感じなので、ひとまず宿に帰る。

宿にもどると、先の橋の話を、宿の人とAKRに聞いてみると、自転車で渡ってもルール的には問題ないが非常に危ないと言われる。
あの橋には、3本の道があり、3本の内の中央の道が比較的安全とのことで行くなら、真ん中の道を使った方がよいとの事だ。あとは、渡し船に自転車ごと乗り込むという手もあるらしいが、詳細は不明だ。

取り敢えず、真ん中の橋でチャレンジ。途中まで進むと、歩道っぽいものも登場するところを見ると、やっぱりこの橋は人や自転車が渡っても良い感じっぽい。んだが、そこに辿り着くまではどう好意的に見ても、自動車専用道路である。おっかなびっくり何とか渡りきり、ワット・ヤイ・チャイモンコンに到着。もう日が暮れているので入場料を取るところも閉めかけていて、タダで入れて貰えた。

ここはちょっと上に登れて高いところに行けるので、夕陽がヤバくて、パネーとMSとKSKに言われていたのだが、どうも天気の問題か余り良い感じに見えないのが残念である。

日が暮れきるまえに、日本人町跡に行くことに。
日本人町跡は結構遠い。つか、ガイドブックのアユタヤは地図の縮尺が大きく、地図上でのちょっとした距離も実際は結構遠い事に今更気付いた。

なんとか日本人町跡に到着。
ここも遅くて閉まっているのか、そう言う物なのか解らないが、入り口が半開きで勝手に入れて入場料を取る人もなく、その代わり中の施設も全部閉まっていた。
どちらにしろ、ここは期待したような物は特に何もない。昔の住居の跡とか有るのかと思ったがそれもない。どうも何かしらの跡があったので、後から記念碑を建てただけという所のようである。残念。
ここで夕陽を眺めた後、宿に帰る。

 

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アユタヤ

アユタヤ

宿に帰るとみんな晩飯を食っていた。AKRもまるでソンキット一族のようにおさまりよく夕食を食っている。
俺にも喰うか?と言われたが、近くにナイトマーケットが出ているとの事でなので、そこで喰うことにして、再びでかける。

最初歩いて向かっていたのだが、これまた予想以上に遠くて挫けた。戻って自転車でリトライ。北側の川沿いのマーケットの屋台で色々つまみながら夕食。
このマーケットは、食い物以外は別にアユタヤならではの土産が出るわけでも無いようだ。日本の縁日っぽい雰囲気で、現地の人々が、みんなぶらりと出て来て飲み食いしてる様である。

その後、島中央部にもナイトマーケットが出ているので行ってみたが、同じ様な感じである。目に付いた物を色々食べながら彷徨き、お腹がいっぱいになったので宿に帰る。