2007年11月22日(木) 帰国

 

相変わらず5時に目覚めるが、昨日でアユタヤ観光はひとまず満喫したので、二度寝したり、部屋でゴロゴロした後、宿で朝飯を食べる。今日もタイフードで、チャーハンっぽい物である。

今日の夜中には帰国のために空港に移動しなくてはならない。なので、夕方頃にはバンコクに向かわなくてはならんな。う~む、いまだ『みんな同じに見える病』は回復してないので観光する気もあまりなく、最後の日ぐらい宿でグダグダ、ゴロゴロしていようと言う感じである。

AKRやソンキットと呑気に話をしていた所、昼頃に日本人の宿泊者が訪れた。なんか、この人もこの宿の常連らしい。
到着するなり、色々喋りだし、非常にやかましい。何でも、10年ぐらい前から、結構色々アジアを旅したりしていたり、今でも(今回も?)ボランティアでタイに訪れているとか。
それにしても、何度も言うが、彼はやかましい。何故か、他の人が周りからいなくなったからか、俺の横に座り、ほぼ一方的に話しかけてくる。会話というより、ただ聞かされているだけって感じになり疲れる。
このオッサンがはAKRとも顔見知りらしいのだが、オッサンが搭乗した時、AKRは苦い顔をして、わざわざ外の椅子の方に出ていったのは、そう言った理由っぽいな。
この人、態度が尊大であり、話もなんか自慢話が多く、そのくせなんかセコイ内容をひたすら喋ってくる。この宿に対しても上から目線で、「宿の料金の事などを、アドバイスしてやった」とか、「この宿の人は経営を知らない。俺のおかげで宿が成り立っている」的な事を喋っている。しらんがな。どうみてもそんな人には見えん。
俺は飯を食っていて逃げる事も能わず、適当に話を右から左へと聞き流しているのだが、その後もひたすらこっちの反応を気にもせずに、ひたすら喋ってくる。人が飯を食っているのに、人が死んだ話とか平気でしてくるし、聞いてもないのに、「中国で上手く旅するための、中国人と思わせる方法を教えてやる」的な事を言われたが、俺はそんな事しなくても中国人に間違えられるので、余計なお世話であるし、人の留学費用について教えろとうるさく、教えたら最初安い安いを連発していたと思ったら、急に高い高いと連発しだしたり(料金に何が含まれてるかも聞いてないクセに)、「これからラオスに行くのだが、良い宿は知らないか?出来れば日本人がいない方が良い。日本人は話しかけてくるし、うるさい。」と言いだすので、よっぽど

『貴様本人が一番うるさい。』

と言ってやりたい所をぐっと堪える。
ラオスに行くと言っているので、俺の余ったKipを売りつけようと試みるが、「数百円ぐらいだろう? 持っていると、お土産に良いよ。」とか言いだし、とっても大変非常に余計なお世話である。俺は数千円単位で持ってるのであり、史上希にみる役に立たないオッサンである。
取り敢えず、トイレに行くと言って席を外してみたのだが、奴はテーブルに座りながら遠くのトイレに入った俺に向かって大声で話し続けてるし、彼はどうかしちゃってんじゃないかと思わなくもない。早く飯を食い終わらなくては。

「所で、アユタヤに来る時、ちゃんと『アユタヤ』と言う地名が、タイ人に通じたか?」と聞いてくるので、「通じた」と答えたのだが、「いや、普通は通じない」とか言い出す。俺は異常か知らないが、「確かに通じたし、今まで通じなかった事は無い」と言ったら、「日本人の発音は絶対通じないんだ!」と、何を根拠に言っているのか不明である。「ちょっとその発音を言ってみて」という。現地の人は、「アユッタヤー」見たいな感じに抑揚を付け発音してると思うが、俺は普通にカタカナの棒読みで「アユタヤー」で言って通じていたので、それを言ってみると、「いや、それでは絶対通じない!」とうるさい。お前には通じなくても、通じてると言っておろうが。俺がアユタヤに来るまでどんだけこの地名を言ったと思ってんだ。
じゃあ、どういったら通じるのか貴様言って見ろと言うと、少し困惑したような表情を見せた後、

 「アユッ…、いやいや、えー、『アゥ・ユッタジャワァーヤァア~』」

とか聞いた事も無い珍妙な発音をして、「こう言わないと通じないんだ」とか言っている。どうも奴の表情と言い、言い方と言い、俺の言い方とは違うと言う事を強調したいが為に、奴のいつもよりもも更に大げさな言い方をしているっぽいのだが。
つーか、俺は現地人のアユタヤの発音を何回も聞いているが、そんな言い方している人はいない。英語表記でも、AYUTTHAYAであり、どうひいき目にみてもそんな読み方はしない。つか、むしろ貴様はそんな変な発音してるから通じないんだろう、と思ったのだが面倒なので、ヘーと言っておく。取り敢えず、奴は発音になんか拘りがあるらしい。
つか、少しぐらい変な発音でも、バス停等でアユタヤーと言えば、だいたい向こうも前後関係やらで、行こうとしている地名だと解釈して、解ってくれるつーの。町の食堂で、「アユタヤ」なんて言ったら何だかワケは解らないだろうが。とりあえずこのオッサンはこれで通じるようになったらしいが、その前はどんな発音をしていたのか気になってしまうぜ。

飯食い終わり、オッサンを残して宿の外に出ると、ソンキットが申し訳なさそうな顔をしている。いや、あなたのせいではないので、お気になさらず。ソンキットは「今日も自転車で観光に行った方が良いんじゃない?」と、暗にあのオッサンに近づかない事を勧めているようだ。

                   ワット・スワン・ダララムの壁画


ワット・スワン・ダララムの壁画

                   ゴージャスな、Tourist Infomation Center


ゴージャスな、Tourist Infomation Center

アユタヤは象に乗っての観光も有名

アユタヤは象に乗っての観光も有名

ワット・ロカヤ・スタの巨大な寝釈迦仏

ワット・ロカヤ・スタの巨大な寝釈迦仏

行き先は取り敢えず昨日見つけられたかった、ワット・スワン・ダララム行き、迷いながらも何とかみつけて、解ったような顔をしながら壁画を眺める。

次にチャオ・サン・プラヤー国立博物館で、ワット・ラチャブラナや、ワット・プラマハートで発見されたと言うお宝拝見。これらの黄金の宝物は確かに見事である。

その後、一般人が入って良いのか解らず尻込みしてしまう、何故か大げさな外観のTourist
Infomation Centerに今更行ってみる。
入り口を入りながら、

 「アッシの様な、一般のツーリストが入っても、構わないんでゲスか?」

と言う感じで様子を伺うが、どうやら問題ないようである。
ここは現在1Fは工事しているが、2F等はかなり力の入ったアユタヤ紹介の展示物がある。 しかし、観覧者ほとんど無く、各階の担当者の半分はそこら辺で寝ているか不在である。
1FのTATに行くと、ゴージャスな日本語のパンフレットと地図が貰えた。やっぱり昨日来れば良かった。

その後、また島を右回りにぐるりと周りながら宿に帰る。
その道すがら、ワット・ロカヤ・スタの巨大な寝釈迦仏やら、観れそうな所は余すところ無く観光。

あのオッサンは上で本を読んでいるらしく、AKRも普段の部屋のテーブルに座ってタイ語を勉強していた。
時間はそろそろ4時になっている。バンコク行きの最終バスは7時で、それまで、10分~1時間の間隔で常に出ているので、適当に行けば乗れるようである。
何時に乗ろうか考えていたところ、ソンキットが晩飯を早めに作るので、それを食べてから帰りなさいと言ってくれたので夕飯を食べる事にする。

その間、ソンキットの息子、カムィンに折り紙を教えたり、作った物で遊んだりして過ごす。ソンキットもカムィンもかなり覚えがよい。ソンキットに関しては、折った後の物を見せれば、その途中も解るほどであり、恐るべき空間認識能力である。

晩飯はエビチャーハンと、茶碗蒸しっぽい物。ソンキットは卵料理が嫌いなので味見をしないで作るらしいのだが、美味しかった。

このSKゲストハウスは、評判の通り良い宿だった。こんどアユタヤに来る時も、この宿を使いたいと思うぞ。

遊んでいたら時間を忘れてしまい、最終の7時のバスでバンコクへ向かう(50B)。
このバスもバンコク行きであり、行きすぎることが無く、多い日も安心である。

バンコクの北ターミナル(モーチット・マイ)に到着するが、次なる関門はバンコク市街地へ向かう、ローカルバスの乗り場である。先のバスで一緒だったオバサンがどうも俺を心配していたらしく、聞いてないのに「こっちに一緒に来なさい」と案内してくれるのだが、北ターミナルは広くて入り組んでおり、案内しようとしてるものの、実はオバサンもローカルバスの乗り場を知らないらしく、一緒に迷子になってしまった。
取り敢えず心配ないからと、おばさんと別れ、一人でローカルバスを探す。

実は、市街を走るバスを「ローカルバス」と呼べば通じるかと思ってたのだが、「シティ・バス」と言うらしい事が判明。多分タイの感覚では、アユタヤ行きのようなバスもローカルなんだろう。
途中途中、タクシーやバイタクの客引きに捕まりながら、「いや、バスで安く行くから」と答えると、笑いながら、あっちの方だと教えてくれた。客にならないから嘘をつくというような事はないらしい。
なんとか、シティ・バスの乗り場をと、行きに使った509番のバスを発見。
このバスは、このモーチット・マイが終点ではないッポイので、ヘタすると逆向きに進んでしまい大惨事に成りそうなので、運転手などに話を聞いたり、間違いがないことをくどいほど確認して乗る(18B)。

途中、戦勝記念塔で降りて空港行きのバスを拾った方が良いかと思ったが、一応カオサンでもバスは拾えるし、ビール飲んだり、ネットしたりしようと思い、カオサンまで行って降りる。
くつろぐ前に空港行きのバスを確認したところ、なんかもう走ってないし。10時頃には終わっているのか。しまったぞ。戦勝記念塔からなら、往路でも深夜にそこまでバスで到着した事から考えると、逆向きの空港までのバスも有りそうだが…、と悩みながらフラフラしてたら、エアポートバスを見付けたのでそれに乗り込む。情報では100Bの筈だが、150Bに値上がりしていた様だ。
アユタヤの騒がしい役立たずのオッサンの話では、「タクシーで空港から戦勝記念塔まで170Bだ!」と言っていたので、それが本当なら余りやすくないが、もういいやコレで。あのオッサンの言う事はあてにならぬ。

バスは11時前に出発し、空港に12時頃到着。
飛行機は6:40のフライトなので、チェックインまで相当暇である。

3時半まで一寝入りし、チェックインを行う。
実は、今回飛行機のリコンファームを行ってない。何度がチャレンジしたのだが、時間外だの、休日だの、何だので、何故か電話が一度も繋がら無かったのである。
「俺はリコンファームした!…と言う事にする。」と、自分に思い聞かせながら、チェックインに挑むと、何の問題もなくチェックイン出来た。

まぁ、発行されたから良しとするが、何度も言うが俺はこのリコンファームのルールが気に入らない。
だいたい予約して金まで払っているのに、再確認しないからと言って何故にキャンセルされなければ成らないのだろうか。日程変更等の事があるなら、変更無しの人ではなく、変更する人がキャンセルの連絡をすべきだろう。その人は変更しなければお金が損するんだから絶対するだろうし、し忘れてもそいつのミスであって、航空会社に文句は言わないだろうに。
だいたい俺のチケットは、1ヶ月のFIXなので変更自体できないのに、リコンファームなんぞさせないで欲しいぞ。

タイのイミグレーションを通過。時間が早いからかガラ空きである。
中に入ると、イミグレ以上にガラ空きというか、まだ開店前の状態で掃除などが行われている。飛行機は24時間到着すると思うので、この辺りも24時間稼働しているかと思えばそうではないのだな。

もう、手荷物検査まで全部済ませておこうと思ったが、6時までクローズと言われる。
腹も減っているので、数少ない空いている飯やをうろつく。うわー高い。缶ビールのシンハなんて、タイ国内では30Bの筈だが、ここでは空港価格で100Bである。その他モロモロ高すぎる。宿代より高いぜ。まだココはタイ国内なんだからその価格にして貰えないだろうか。
しかし座っている場所も欲しいので、BURGER KINGに行く。 肉は5時からと言われるので、フィッシュバーガー195Bを払う。たけぇ。バーツで払うと値段の高さもより感じられる。
飲み物を聞かれ、「アイスコーヒー」と言って怪訝な顔をされた。もう一度言ってみると、OKと言われたのだが、言われてから思い出した。タイ語で「コーヒー」と言う単語は、エロイ意味に成ってしまうんだった。まだ、ここはタイ国内だったな。
その後、カウンターの人が、チーズはのせるか?とか、なんかもう一つ言っているので、分かんないのでOKしたら、値段が上がって、230Bに成ってしまった。 うわぁーアブねぇ。所持バーツギリギリだった。
チーズの事を聞いたのは、アレルギーや好き嫌いで、「乗せない事も出来るよ?」的な俺解釈だったのだが、レシートには「AD Cheese」とあるので、「チーズをより乗せるか?」と聞いていたらしく、+15B。あと、なんか解らないのはレシートでは「GO KING 20B」とあり、多分飲み物がキングサイズに変更してしまったようだ。。Kipが使えればこっちのもんなのだが、所持バーツは本当にギリギリであった。
つか、キングサイズなのはよいが、勝手に砂糖が過剰に入っていて甘すぎる。 普通サイズでも全部飲めぬわ。

そんなこんなで飛行機が来たので乗り込む。うむ、なかなか楽しい旅であった。

ただ、旅立つ前は、

「1ヶ月もある。好きなところに好きなだけ滞在できるぜ。こんなにゆっくり出来る旅行は初めてだ。」

なんて考えていたのだが、案外移動ばかりのせわしない旅になってしまったな。
さすがに3カ国も巡るには、1ヶ月でも全然時間は足りないんだな。