4月 29 2001
2001年4月29日(日) エレガントインド旅行(04):魅惑のダーラム家
ダーラム家も俺たちのホテルのあるニューデリーにあるらしい。 車で、ブンブン進んでいくと、途中バザーを開いているところを通る。
「あれはバッザールで、ゴッザールねー」
とダーラムさん。 一応、Tと「お、知ってますねぇ アハハハ」と笑ったが、これ以降もこの古いネタを違う旅行者にダーラムさんが言い続けるのは気の毒な気がして、新しい事をおしてておこうと思ったが何も思いつかぬ。 Tは何故かプロミスの宣伝の「相談できるの~」「ソウダン(そうなん)です」「サムッ!」と言うやつはどうか?と言っていたが、なんでそんな物を思い浮かべたのか全くわからんのだが。 とりあえず新しいネタを伝えるのは断念。
ニューデリーに向かう途中、酒屋で酒を買うことに。 『インドのお酒ってなんだろ?』と期待していると、普通のウィスキーでちょっとがっかり。
まだ空港を出てから車にいっぱなしなので、目に付く全てが珍しいので車の中からギロギロ辺りを見回していると、『酒屋をみますか?』と言われたので見に行く。 でも中は特に変わった感じはなく、こんなもんかな? と言った感じだった。
インドは野良犬か飼い犬か良くわからないのが沢山うろつきまわっている。 そんなのがそこかしこで寝まくっている。
店から出て車を探すと、マンシンさんが犬が寝ているのに構わずバックしてくる。 このまま行くと、確実に寝ている犬をひいてしまうのだが、犬は全く気がついてないし、マンシンさんも犬に気づいていないし、俺様の位置からは遠すぎていかんともしがたい。 それに、
『もしかしたら、犬をひくぐらいインドでは日常茶飯事かもしれず、そんなことで外人が奇声をあげてはみっともないか?』
という考えもぬぐえず、『うひぃー、危ない危ないぃ~』とハラハラしながら、近くの石を犬にぶつけて気づかせようかと思い辺りを見回す。 すると近くにいたダーラムさんが犬に気づき大慌てで車にストップをかけた。 やっぱりインドでも気軽に犬をひいたりはしないらしいな。 当たり前か。
大通りからちょっと細い道を入ってすぐの所にダーラム家はあった。 ダーラム家に限らず、そこらへんの家は日本の一戸建てというイメージとは異なり、小ビルって感じである。 庭無しの長方形で、上は3階ぐらいまである。 上の階に案内され階段を上る途中、数人の人と会い挨拶を交わす。 なんかやけに人が多いなぁ。 どうやら親戚一同と住んでいるらしい。
案内された部屋にはやけに風通しが良い。 窓などもガラスがついてなかったりして、冬は大丈夫なのか気になるな。 部屋の中はやはり日本とは文化が違うので、目に付く全てが珍しい。 写真を好きにとってよいと言われたので、日本で試し撮りまでして準備万端のカメラを取り出すが動かず壊れれている模様。 あんなに確認したのに、しょせんこんなもんだな。 仕組みの簡単なカメラなら写すだけなら出来そうだが、このカメラは電動でレンズカバーとか開く中途半端にメカニカルなカメラのためお手上げだ。
しょうがないのでこれ以降ずっとTのカメラに頼る事になる。 Tは使いかけの使い捨てカメラと、バッテリーの替えのないデジカメと言う、どちらも中途半端な物を持ってきているのだが、もうこのさいしかたないな。
部屋ではダーラムさんの友人の、アシュールさんとクリケットをやっている名前不明の人、マンシンさんを交えて水割りを飲む。 インドの水は日本人に合わず、氷が溶けた分だけ飲んでも下痢をするおそれがあるとガイドブックに書いてあったので、水割りの水が不安である。
「うーむ。 もはやこれまで。 下痢覚悟で飲むしか有るまい!」
とTはインド到着数時間にして、既に覚悟を決めたらしい。 俺様も、「もうかよ!」とつっこみながらも、仕方ないので諦める。 しかし、そこら辺はダーラムさんは心得たもので、ちゃんと俺たち用にミネラルウォーターを用意してくれていたのだ。 ありがてぇ。
つまみにはベビースターの様な物が出てくる。 結構辛いが、まあ食べれないほど辛くない。 さすがインドはこんなものまで辛さを忘れないのだな。 しかし、
「うひぃ~。これ辛くないか? うわ、辛れぇ~。 俺ダメ。」
と早くもこのおやつ程度の食い物ギブアップのT。 そこまで辛くないと思うのだがな。 他の人も、『こんなの全然辛くないのに』と不思議そうに見ている。
しばらくしてもう一種類、今度は薄緑の色をしたベビースターが出てくる。こっちはほとんど辛くないのでTも
「うーむ、こっちは辛くない。 インドの辛さと言っても喰いきれないほど辛い物ばかりではないのか。」
と満足げである。
水割りと菓子をボリボリ食べながら周りと談笑。 所詮あまり英語もしゃべれないので、ダーラムさんを介したり、知り得る単語を駆使して会話。 しかし、ダーラムさんはたまに酒を飲む方に熱中して翻訳をさぼったりするので、結構疲れるのだ。
Tの様子を伺うと、何かにつけて『ダンケシェーン』と言っている。 どうやらヒンズー語の『ありがとう』である、『ダンニャワード』と間違えている様子。 『ダンケシェーン』はドイツ語だな。 しかし、奴が何度も間違えるため、俺まで刷り込まれてしまい、『あれ? ダン・・・ なんだっけ?』とわかんなくなってしまった。
インドでは(なのか、ヒンズー教ではなのかハッキリしないが)、左手は不浄の手としており、左手はお尻を素手でダイレクトに拭いて後で手を洗ったりする。 そのため、ものを食べるときには必ず右手を使うのだ。
なのに、Tはベビースターを左手でパクパク食べている。 気になって小声で注意したら、『あ、やべー。すっかり忘れてた』とか。
一応今後の事もあるのでぶっちゃけそこら辺どーゆーもんかとダーラムさんに確認すると「う~ん、まあだいじょーぶヨォ」との事。 たぶん外国のお客さん扱いだからオッケーなのかと思うが、やらないに越した事は無いとおもうので、以降二人とも注意して食べる。 しかし、ダーラムさんの友人二人の様子を見たが、左手で食べている時もあるのだ。 謎だ。 あまり関係ないのだろうか?
で、不浄の左手だが、『人を指し示す時などにも使ってはならないので注意』とガイドブックにあった。 なのでそこら辺は注意深く行動していた。 なんせ言葉があまり通じないので、『そちらは』とか手で示す事が多くなってしまうからである。
なのに、Tはビシビシ左手で人を指してる。 気になって小声で注意したら、『あ、やべー。そうなの?』とか。 みなさん外人相手なので大目に見てくれる事を祈る。
途中停電が起こる。 結構停電は多いらしい。 ダーラム夫人がろうそくを持ってきてくれたが、月明かりがあるので屋上で飲もうと言う事になる。
「日本でも停電多いデスカァ?」
とのダーラムさんの質問に電気屋Tの目がキラリと光る。
「頻繁に起こりませんが、起こっても5分もあれば復帰しますよ」
「オー。 日本はしっかりしているネ。 インドではいつ直るかなんてわかんないヨォ」
とダーラムさんは感心している。 Tも満足げ。 『おい、平間が停電した時は4、5時間戻らなかったぞ。』とTに小声で告げると、「そーいう時もある」とT。 なんだそりゃ。
とにかく月明かりの下で飲むのも良いし、何もかもが珍しく、浮かれ気分な俺たち二人は非常に満足。 Tは、
「ああ、インドに来て今が一番楽しい思い出になるに違いない」
と何度も言っていた。 結論出すには早すぎるが、その気持ちも良くわかるな。 『しかしキミにはタージ・マハールと言う大きな目的があるじゃんか。』とその時思ったが、後にして思えばその時のTの予言は当たっていたと言わざるを得ない。 まさか、よりによってタージ・マハールで・・・。 おっと、これは後の話だな。
屋上で談笑したり飲んだ後は、外を散歩しましょうと言う事に。 みんなで一階に向かって先頭を歩いていると、何故か後ろがついてこないので一人で一階に到着。
ぽっつーんと後ろを待っていると、どこから現れたのかインド人の新キャラ登場!
『ふごぉー、この人はどういう関係の人であるか?』
と動揺している所に、なんか色々話しかけられてしまい、『うひー、早く誰かきてぇ』と思いながら必死に応答するが何故か誰も来ない。
しばらくするとそのインド人が、
「あ、あなた日本の方?」
と日本語を喋りだす。 この方はダーラムさんのお兄さんで、同じくガイドの仕事をしているので日本語ペラペラでやんの。 すげぇつかれたぜ、早く言ってくれよな。 日本語で。
以後、堂々と日本語で会話をしていると、みんながドヤドヤ降りてきたので、散歩に出かける。 はぐれないように注意しなくてはいかんな。
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4月 29 2001
2001年4月29日(日) エレガントインド旅行(05):インドのカレー
大通りに向かって皆で歩く。 月明かりだけが頼りなので、野良犬か飼い犬か不明の犬も沢山いるのだが、眼が不気味に光っている。 人によっては怖くて歩けないかもしれないな。
ぐねぐね歩いている内に大通りに出る。 インドは大通りでは夜でも人が多く、とてもにぎやかである。
インド人には外人は珍しいらしく、どんなにゴミゴミしたところでも目立ってしまうらしく注目を浴びてしまう。 こんな所一人で歩いたら、絶望的気分を味わいそうだが、魔神ダーラムという力強い仲間がいるので安心である。
インド人の熱視線にビビリながらも、『余裕ザマス。 旅慣れてるザマス』と言うスタイルを崩さず、インド人に話しかけられても適当にあしらいながらインドの雰囲気を味わう。
ちょっとうろついた後、インドの居酒屋みたいな所に入る。 看板も出ていない、つうか出ていても分からないのだが、こんな所は俺たち二人だったら絶対入れない感じだ。 完全に現地人の飲み屋である。 ここでもウイスキーとつまみを喰う。 ここでもダーラムさんは水はミネラルウォーターを手配してくれた。 ありがてぇこった。
ここで知ったのだが、アシュールさんはベジタリアンだそうな。 ベジタリアンは野菜食でも、肉食の俺たちと同じ皿からも物を食べてはならないらしい。 おそらく宗教から来ているのだろうが結構厳格なものなんだな。 なんでもバクバク食べるダーラムさんとは対照的である。
俺は二日酔いになると明日が台無しなので、有る程度セーブして飲んでいるのだが、ダーラムさんは酒好きらしく、楽しそうに飲んでいる。 インド人は基本的に酒が強いらしく、ダーラムさんも二日酔いになった事はないらしい。
「家に帰ると、わたしの奥さんの料理がマテルヨォー うちの奥さんの料理ウマイヨォー」
とダーラムさんがしきりに言っているので、ここでは食べるのをセーブしていたのだが、何故かアシュールさんに食い物を勧めまくられ完全に腹一杯になって店を出る。
ダーラムさんは友人二人を送るためか、俺様たちにはマンシンさんと一緒に先に家に戻っていてと告げて去っていく。
ダーラムさんがいないとなるとしょうがないので、俺たちは片言英語でマンシンさんに話しながらついていく。 どちらかというとTが熱心に英語によるコンタクトにチャレンジしており、
「オゥイェー。 オー。 オゥオゥ」
とよく聞くと、アシカのようにオウオウとしか言っていない気がするのだが、なんか二人は気があった様に楽しげであった。 マンシンさんも英語がぺらぺらというわけではないので、きっとお互いの最大限の譲歩および気遣いで会話が成り立っているのだろう。
しばらく歩くと来る時に通らなかった道を通ったり、同じ所を何度も行ったり来たりし出す。 どうやらマンシンさん道に迷ったらしい。 やめてくれ。
「はっはっは、大丈夫」
みたいな事を言っているが、なんかマンシンさんの眼は笑ってないので、全然大丈夫そうではない。 『大丈夫』と言っている根拠は絶対無いのがありありと伺える。 あっちを見たりこっちを見たりしていたが、どうしても道が思い出せないらしい。 しょうがないので、車で来た時の大通りまで一度出て、車で通った道を歩きながら大回りして帰ることに。
道すがら、焦りからかこのときのマンシンさんは良く喋っていた。 でも相変わらず眼は笑っていないのが不安である。 しかし、俺様はこの大通りを車で来る時に覚えていたのであまり心配なかった。 先頭切って歩き、何とかダーラム家にたどり着いた。 危ないところだったぜ。
迷子中に余裕ぶって記念撮影のTとマンシンさん。 迷子中なので周りは漆黒の闇
俺たちはあれだけ迷子になったが、まだダーラムさんは帰って来ていなかった。
そこで、ダーラムさんのお兄さんと話をする。 話通じる人がいないままこの場を過ごすのはかなりきつい物があるので、兄さんがいてくれて助かった。
この兄さんはダーラムさんとは全然似ておらず、風貌は日本人ぽい。 そのため日本人には、『ナカムラさん』と呼ばれているらしい。 何でナカムラという名字が選ばれたのか分からぬのだが、確かに言われてみればナカムラさんって感じである。 仕事は前記の様にガイドで、昔TVか何かの企画で緒方拳が南インドを旅行した時にガイドをした事が有るらしい。
ナカムラ兄さんには子供が2人ほどいて、一緒に話を聞いている。 そこで何故かTが手品を始める。 兄さんにはトリックがバレバレだったが、子供たちはビックリしていた模様。
そんなこんなしていると、ダーラムさんが帰ってきたので、奥さん自慢の手料理を食べる。マトンを使ったカレーである。 手で食べるのかと思ったがスプーン用意してあった。 俺たちに気を使って用意してくれたのかもしれない。
ここでインドのカレーに初コンタクトである。 インドのカレーは日本のカレーとはちょっと違う。 鉄の平皿に米(縦長のタイマイっぽい米)が乗っていて、それと一緒に鉄の容器が乗っていて、そこにカレーが入っている。
以後、何度かカレーを見たが、米の代わりにナン(パンみたいなもの)だったりするが、だいたいインドのカレーはこんな感じである。 そういえば、キン肉マンに出てきたインド超人カレクックの頭には、こんなのではなく日本のカレーが乗っていた気がする。
『カレクックは実は日本の超人に違いない』
と思いながら食べる。
俺様は既に腹一杯だったが、やはりおいしい。 日本人向けに辛さは控えめにしてくれているらしく、Tにも食べれる辛さだった。
食べ終わると結構夜遅くなっており、明日に備えてそろそろホテルへ向かう事に。
途中ダーラムさんは家に招待されてどうだったか? と尋ねてくるので、本当に楽しかった旨を告げると、
「私がガイドする時は、必ず家に招待することにしてるんですヨォ。 こういう体験はなかなか出来ないでしょぉ」
と、ダーラムさんもとても嬉しそうだ。
俺も本当に得難い経験が出来て満足である。 こういう事してくれるなら、『他の人もダーラムさんをガイドに指名して旅行に来ればよいなぁ』と知らないインド旅行者の事まで気遣ってしまうぐらいであった。 いや、本日は予想外な収穫であった。
Tのノーテンキインド旅行記 2
結果として、結局ダーラムさんはとっても良い人で、水割り作ってくれたり、奥さんが料理作ってくれたり、酒が無くなったら近所の一杯飲み屋みたいなところに案内されたりして、最後には、ダーラムさんの甥にトランプマジック披露したりするぐらいご機嫌になった。とっても面白かった。
どうやら俺の人生は終わらなかった様である。
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By 俺様 • 2001年 エレガントインド旅行 • 0