5月 1 2001
2001年5月1日(火) エレガントインド旅行(18):暴虐大帝
Tがトイレに行っている間に、俺は先にガシュラムの樹で待っているダーラムさんのところへ行き現状報告。 そして、二人でTを待つ。
今日の観光予定では、タージ・マハルを見た後は大理石でいろいろ作っているお土産屋に行く予定だったのだが、それは取りやめてホテルに戻ろうと言う事になる。 ツアーなのだが、俺たちしかいない強みで予定はいくらでも変更できるのが救いである。
しばらくするとTがヨロヨロもどって来たので電気自動車に乗り込む。
この自動車の乗り降り場は相変わらずタチの悪い物売りが多い。 行きの車の中でダーラムさんに、「触っただけで買わされる」と言われているので、触らずにい「いらねぇ」と断りながら車に乗り込む。 Tは完全にグロッキーである。
しかし物売りは、我らが車に乗り込んでからも、窓から手を突っ込んだりドア(扉なし)から乗り込んできたりしながら妙な物を押しつけてくるのである。
Tは奥に乗り込んでいるのだが、そちらの窓からも執拗にお土産を差しされていた。 するとTは意識朦朧としているためか、もともと人の話を聞いてないのか、窓から差し出されたお土産を受け取ろうとして手を伸ばすので、
「触るなっ! 買わされるぞっ!」
とTの手をブロック。 インド人ガッカリ。 しかしそのインド人もあきらめが悪く、
「ほらいいから、もってみろって。これいいぞ。」
と使用用途の謎の、丸めた金色の針金を、しつこくTに押しつけてくる。 Tは、「いらないって…。 いらないってば…。」と手を振りながら断るのだがインド人は諦めないのである。 すると、
「んだー! ふざけやがって! うるせぇんだよ! 俺は気持ちがわりぃんだよ! わかってんのかよこのやろう!」
とついにキレて日本語で叫ぶT。 たぶんインド人はわかってないと思う。
しかし、その叫びも悲しいかな迫力がないため、物売りの手は一瞬止まったものの、再び、「ほら、いいから、もってみろって」と何事も無かったかのように押しつけだされていた。
俺の方はと言うと入り口から進入した2人のしつこい物売りにつきまとわれていた。 一人はおっさんで、もう一人は超生意気そうなガキである。 こいつベラベラうるせぇし、しつこいので怒ったTに便乗して、
「NO!!」
と、大声でガキに超ガンつけながら叫んでみる。 ビビルガキ。 意表をつかれたのか「あ、ううあ・・・」と口をパクパクさせた後、『そんなに怒らなくてもいいじゃんかよなー』って感じで、周りにヘラヘラ笑って同意を求めている様子である。
俺様は現在魂の会話モードなので、ガキの言っている事が良くわかる(と思われる)ので、『ンダコラ、てめーの言っている事わかるぞ』的顔で睨んでいると、居心地悪げにスゴスゴ去っていった。 俺の叫びを聞いたTにつきまとっていた男も去っていった。 俺の勝ちだ。
そんなこんなで物売りをかき分けて電気自動車は走り出す。 すると、なにやらダーラムさんもご立腹中。
「行きに乗ったこの電気の車の運転手、20ルピーだと言っていたのに、ついてから30ルピー請求してきたヨー。 タージ・マハールはこれだからイヤダヨー! お金の問題と言うより、約束を守らずだまし取ろうとするのが腹立つヨ!
ここは観光客をねらってあくどい事するやつらばかりで、本当に腹が立ちます! 同じインド人として恥ずかしいです!
だからタージ・マハルは嫌いなんですヨォ! ガイドの仕事でなかったら、こんなところ来たく無いデス!」
と怒っているのである。 インド人はインド人まで騙すのである。 特にこのタージ・マハルは、インド観光の超目玉なので、特に強引インド人が多くて、そう言った意味でも有名なのだ。 「日本人がカモにされるわけだなぁ」なんて思った。
怒りの電気自動車を降り、物売りを追っ払いながら、いつものマンシンさん運転の車に乗り換えてホテルに向かう。
ダーラムさんは途中車を止めて、薬局の様なところで何かの粉と水を買って来た。 その粉を水で溶かしてTに飲むようにと渡す。 どうやらその粉は、日本のポカリスエットの粉みたいな物のようだ。
下痢時は水分を採らないと、脱水症状になったりしてまずいので、できればこういった吸収の良いスポーツ飲料を飲んだ方がいいのである。 医者の話では、「ポカリ一本が点滴一本分に匹敵する」と、旅行時には粉ポカリを携帯するように指示する人もいるみたいだ。
ホテルに到着すると、ダーラムさんは医者を呼ぼうと言っていたが、Tが「とりあえず休んで様子を見させてほしい」と言うので、
「フロントに私の連絡先と伝言を伝えてあります。 何かあったらフロントに言って、私を呼び出す様にしてくださイ。」
と言って、去っていった。
Tと部屋に戻って休む。
Tはトイレに行って、ベッドで倒れてを繰り返している。 もうパンツを脱ぐと言う行為もおっくうらしく、ベッドで倒れている時も下半身丸出しである。 上は着たままなので変態っぽい。
少しして、様子はどうか聞くと、
「ううぅ、明日になってもダメなら医者を呼ぶ」
とか言っていたが、明日になってダメでは間に合わぬので、一寝入りした後に判断する事にする。 しかし、トイレに行ったり横になったりを繰り返しだし、腹も痛すぎて寝付けぬ模様である。
『やはり、これは医者を呼んだ方がいいだろう。 つうか、どんな医者が来るのか是非呼んでみたいのだが。』
と思っていると、
「ううぅ、やっぱり医者を呼んでくれ」
と言ってきた。 ついに観念した模様である。
医者を呼ぶのは自力では無理なので、フロントへ行き、「ダーラムさんに連絡を取りたい」と伝える。 しかし、そんな人は知らないと言われる。 ダーラムさんの伝言伝わってねぇし!
いろいろ言ってみるが、フロントの人はやはり何も知らないらしいのである。 しつこくいろいって言ってみるが、やはり知らないらしく話に行き詰まり、「困りましたなぁ」とお互い顔を見合わせて沈黙。
気まずい空気が流れ、お互いモジモジしていると、奥からちょっとお偉いさんの様な人が出てきた。 おそらくホテルで言ったら、高嶋政伸的ポジションの人っぽい。 姉さん事件です。 Tが下痢してます。
おそらくダーラムさんはツアーで何度かはこのホテルを利用しているはずなので、なんとか情報をいろいろ伝えると、何とか目星がついたらしい。 「連絡しておくから部屋でまっているように」と言われたので部屋に戻る。
しばらくしてダーラムさん再び登場。 しかし、昼寝中だったようで、ねぐせ全開で、すげぇー眠そうな顔をしており、非常に気の毒であった。 医者に連絡したので、もうじき部屋に来るとの事である。
医者を待っている間、
「今までも日本人のツアーだと、やはり下痢して倒れる人とかいたんでしょうねぇ」
と言うと、
「いえ、今までこんなになった人はいませんヨォ。 お年寄りならともかく。」
とダーラムさん。 Tはインド人もびっくりのひ弱さの様である。
さらにしばらくして、ついにインド医者登場! ・・・しかし、予想に反してと言うか予想通りというか、至って普通のお医者さんって感じである。
首に蛇を巻いていたり、お祈りや呪術で治そうとしたり、民間療法のような治療法を用いたり、といった俺の中での『解っているが、あえて勘違いしていたインド人の医者観』はここで完全に崩れ去るのである。
いろいろ診察した結果、疲労等、特に昨日の炎天下のジャイプールなどの影響だろうと言うことである。 俺診断ではあのホテルの『コロッケだと思って取ってきたが実は魚の擂り身か何かの、ヤケに不味い謎な物体』が腐っていたせいだと思えてならないのだが。
Tは尻注射を打った後、薬を処方される。 俺は、まだ『あえて間違っていたインド医者観』が諦めきれず、
「この男は悪魔にとりつかれているので、一晩窓から逆さにつるしておけば治ります」
とか、そーいった治療方を提示されないかと期待していたのだがなぁ。 ちぇ。
ちなみにインドの薬は、朝・昼・晩みたいな間隔ではなく、「○時○分にこれで、△時△分にはこれで」とやけに中途半端な時間に飲むように指示されていた。 回数も10回ぐらいで、結局帰りの飛行機の中で飲む分まで決まっていたようだ。
Tの診察がすんだお医者さんは、
「そっちの君は大丈夫?」
と言ってきた。 俺もまだまだ体調は悪く下痢は現役バリバリなので、ついでなので見てもらおうとしたら、
「おまえはもう治っているからいいだろ!」
とTが叫ぶ。 その声に医者は振り向き、ダーラムさんに「今彼なんて言ったの」と聞いている。
「おい、自分だけかよ! 俺が診察されるとなんか都合の悪いことでもあるのか?」
とか言っているうちに、ダーラムさんからTの発した内容を聞いた医者は、「あー、そー」と頷きながら道具をしまってしまった。 むう、俺本人の意見を聞いてもらいたいのだが。 ダーラムさんも、大騒ぎしているTに比べて俺様が大人しいので、大丈夫だと思っているようであるなぁ。 まあ、俺様の体調は戻りつつあるので、無理に見てもらう事もないが、ついでなので見てほしかったのだが。
医者とダーラムさんが帰った後、Tは「食欲がない」と言っているので、俺一人でホテルのレストランに行く。 しかし、俺としても果物と紅茶ぐらいしかのどに通らず、早々に引き上げる。
部屋に戻るが、本日予定を繰り上げているので、まだまだ時間が早い。 まだ8時前である。 しょうがないのでTVをぼーっと見ていると、
「あれ(天井で回っている、空気をかき混ぜるためにあるでかい扇風機みたいな奴)が寒い」
とT。 止める。 空気の流れの止まった部屋は非常に暑い。
「TVがうるさい」
とT。 テレビを消す。 する事がない。 しょうがないのでガイドブックとか本を読む。
「明かりがまぶしい」
とT。 明かりを消す。 さっさと寝ろと言いたい。
「ライムティーが飲みたい」
とT。 ワガママ放題である。 やろう、昼に俺がペプシを飲もうとした時、何つったか覚えてんだろうか。
「私はあなたのママじゃないのよっ! 実家に帰らせてもらいます!」
と言いたいのだが、実家も日本だし病人の言う事なので仕方ない。 ルームサービスで、ついでにTの食欲が出た時のためにバナナもあわせて注文する。 しかし、やはり電話だといつも以上に話が伝わらず苦労してしまうな。
しばらくしてボーイがブツを届けに来たので、チップを払おうと思ったが、
『何で俺がチップを払わなきゃならねーんだ!』
と納得いかない気分なので、テーブルの上に散乱してるTの小銭から、腹いせに通常の2倍チップを払っておく事にする。 Tは便所でもチップを払わずケチっていたので、ここらへんで気前よくはき出して、罪滅ぼしをさせてやる親心である。
ライムティーが届いた物の、Tは寝ているんだか寝てないんだかよくわからない状態で、ベットで倒れている。
俺様はと言えば、暴虐大帝Tの恐怖政治のため、明かりもTVも空調も禁じられ、クソ暑い部屋の中でする事がないのである。 本も読めぬ、退屈である。
しょうがないので、今までTVをつけると必ず流れていた、おそらく今のインドのヒット曲を耳コピーしていたので、
「フンタカ フンタ フンタッホー♪」
と、ボソボソ歌って暇をつぶすが、またTに怒られそうなのでそれもやめ、俺様も寝る事にする。 うーむ、まだ8時である。 インドの夜は長い。
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5月 2 2001
2001年5月2日(水) エレガントインド旅行(19):消化試合
朝目覚める。 俺様の体調は昨日と変化無しで、下痢もしているし気分も少し悪い。
Tはと見ると、尻注射のおかげか好調な模様。 下痢は止まっておらぬ物の、気持ち悪さは無くなったらしい。 俺より好調といえる。
昨日のインドポカリはTの為に俺は飲まずに我慢していたのだが、現在奴の方が好調なので、俺が奪って飲もうと思ったら、既に空である。
「あ、俺が夜な夜な飲んで、全部飲んじゃった」
とT。 なんかの妖怪みたいだな。 そのくせ、ライムティーには口をつけてねーのかよ。
アーグラー城(Agra Fort)
街のほぼ中心に位置する要塞と宮殿。 かつてスール朝のシェール・シャーの息子の住居があった地だが、現在見られる建物はムガル朝のアクバル帝とそれ以降の統治者によって造られた。 ヤムナー川に接する立地、高さ約20m、総長2.4kmの赤砂岩製の城壁と周囲の堀など、外観はデリーのラール・キラーに似ている。
ホテルを出発し、まずアーグラー城へ向かう。 ここは、外から眺めるだけにとどめ、引き続きデリーに向かって出発。
毎日恒例の午前中いっぱい車の移動だが、本日は昨日よりは短いとはいえ230Kmである。 遠いな。
今日は二日目とは違い、体調的になんとか外の景色を見るゆとりがある。 やはりインドはその時その時で、ガラリと変わった色々な景色を見せてくれるな。
途中人気の無い村を通過した時、マクドナルドの看板を見かけた。 看板のみで店は見あたらない。 しかしマクドナルドは、インドで100%ビーフなんて売っていいのかは謎である。
そのほか出店の集まったバザーの様な、人で溢れる猥雑な所で停車。 俺にとっては観光地よりも、こういった人間臭い所の風景こそ、『外国に来たぜ』と言う気分にしてくれる。
写真を撮りたいが、俺のカメラは壊れているので、Tに「ここら辺のスナップ写真を撮ってくれよ」と頼むと、「わかった」と言って、車の中から窓も開けずに窓越しに写真を撮るT。 「いや、窓越しとかでなく、直接撮ってくれよ」と言うと、今度は窓を開けてカメラと腕だけ出して撮ろうとしている。 どうもTは、インド人を過剰に警戒している様子である。 サファリパークじゃねーんだから、外に出ても大丈夫なのに。 しょうがないので、Tからカメラを受け取り外に出て写真を撮る。
窓も開けずに車内から(T撮影)
外に出て撮影(俺様撮影)
・・・まあ、確かにジロジロ見られるので、バシバシとは撮りづらいのう。
その後再び車を走らせ、デリーに到着。 ここでの観光も主に外から眺めるだけである。 ラール・キラー、インド門、ラージ・ガートと、次々に移動しては見るを繰り返す。 なんか消化試合の様だが、体調的にもこの方が良いような気がする。
ラール・キラー(Lal Qila)
ムガル朝のシャー・ジャハーン帝が1638年に建造を始め、1648年に完成した。 ラールは赤、キラーは要塞の意。 英語名レッド・フォートとしても知られるが、これらの名は英国統治時代に使われるようになったもので、もとはカライ・ムバラク(吉祥の要塞)と呼ばれていた。 城塞の長さは約2.4km、高さはヤムナー川側が約18m、街側が約33m。 ラホール門とデリー門の2つの門を持つ。
インド門(India Gate)
第一次世界大戦等で戦死した兵士約8万5000人を弔うために建設された。 東西を向いて建つ高さ42mの白い門で、1929年に完成。 戦死者名が刻まれた門の内側へは立ち入る事は出来ないが、周囲には池や芝生の広場があり、市民たちの憩いの場となっている。 特に夕暮れ時以降が人気で、夕日やライトに照らされた門が観賞できる。
ラージ・ガート(Raj Ghat)
マハトマ・ガンジーの墓ラージ・ガート、1991年に暗殺されたラジブ・ガンジーの墓ヴィル・ブーミ、1984年に暗殺されたインディラ・ガンジーの墓シャクティ・スタル、初代首相を務めたネルーの墓シャンティ・ヴァナ、2代目首相を務めたシャストリの墓ヴィジャイ・ガートが、緑豊かな公園に点在している。 墓碑の手前で靴を脱ぎ、敷地内では飲食や喫煙は厳禁。
ちなみにラージ・ガートのガンジーの墓だが、ヒンズー教は水葬にするので本来墓が無いのだが、ガンジーは特別らしい。 その為、墓の中身は空であるそうな。 記念碑みたいな物だろうか。
その後、『富士屋』と言う、日本料理だか中華料理だかを取り扱った店に行く。 インドでは日本食が流行っているそうなのだが、日本料理と中華料理はごっちゃまぜになっている様子である。
ここでは久しぶりの日本食かと思ったが、料理はなんかインド料理っぽいのばかり出てきた。 肉も油ギトギトである。 結局体調の壊れた日本人二人はひたすらスープを飲んでいるだけなので、何料理でも関係なかった気がする。
食事の後はお土産コーナーである。 先日さんざん騙されているので余り乗り気ではないが、ツアーのコースだし仕方なく赴く。 今回はこじんまりとした紅茶屋である。
ここでも日本語が話せる初老のインド人が登場し、ダーラムさんはどこかへふらりと出て行った。 日本語の話せる店員という時点で先日の思い出が蘇り、ちとゲンナリしているのだが、その上この人宝石店の人に似ている気がするが勿論別人だろうな。
ここでもこの店で買い物をした事のある有名日本人の写真を見せられる。 これが日本人に対するおみやげ屋の常套手段なのだろう。 今回の有名人は、笑福亭笑瓶と、斉藤ゆきだ。 なにやら『なるほど・ザ・ワールド』でこの店が取り上げられた事があるらしい。
紅茶は何故か米ドルで値段が付けられており、$1の物から$10物まで5種類ぐらいある。 畑の場所だか種類だかによって値段が違うらしく、ダージリンが最高級。 ダージリンってインドだったのね。 何となくイギリスかなんかかとおもっていたぞ。
俺はこのダージリンを自分、親、兄夫婦用にと3つ買う事にする。 しかし、$10って結構高い気がするな。 日本で買ってもそのくらいするのではないだろうか?
Tもダージリン数個と、その他、お土産でばらまく為に安いのも数個買うことに。 すると店員は、
「10個買ったらどれでも1個オマケしまス」
と言ってきた。
その言葉を聞いて即、『$1のを10個買っても、$10の1個オマケしてくれるのだろうか?』と言う疑問が浮かんでTを見たら、奴も同様の考えが浮かんだらしく俺様を見ていて目が合う。 しかし、これはかなり図々しく躊躇われる。 現在体力的にも弱っている気弱な日本人の我々には口に出す気力もなく、『聞くか?』『やめとこう』と目で会話。
しかし店員は「10個だと…」を繰り返すので、
「二人で10個でも良いですか?」
と聞いたらダメと言われた。 「後で金を渡してTが一人で買う事にでもしようか」と思ったが、店員は中途半端に日本語がわかるので、秘密会議不可である。 おとなしく、それぞれ10個に足らない数だが購入する。
会計の後、なんかよくわからないサイババの絵が描かれた線香(すげークサイ)をオマケでもらうが、全然嬉しくない。
次はクトゥブ・ミナールと言うところへ向かう。 ここはこのインド旅行の最後の観光地である。
向かっている途中、ダーラムさんに先ほどのおまけのサイババ線香を見せると、
「オー。これは先代のサイババね。 今のサイババはインチキだけど、先代は凄い人だったヨォ」
と言っていた。 やはり今のアフロヘアのサイババは、インド人の間でもインチキ扱いの様だな。 騙されているのは日本人だけなのでは無いだろうか?
車を数分走らせると、クトゥブ・ミナールに到着。
飯喰ったら回復するかと思われた俺様の体調だが、なんかさらに悪くなってきた気がする。 それに比べて、どんどん良くなっているTの体調が憎らしい。
クトゥブ・ミナール・コンプレックス(Qutub Minar Complex)
デリー南部に広がるインド最古のイスラム遺跡。 インドで最も高い塔クトゥブ・ミナールが、ひときわ高くそびえている。
クトゥブ・ミナール
1199年に北インドを征服したクトゥブッディーン・アイバクが、戦勝を記念して建設させた塔で、デリーが初めてムスリムの覇権下に置かれた事を象徴する建造物だ。 アイバクはわずか4年間の在位で死去したため、塔は後継者のイールトゥートゥミシュによって完成され、のちの補修工事の際に5階部分が増設された。
昔は塔に登る事も出来たのだが、停電事故の時に何人か落下したとかで、それ以来禁止されたと、ダーラムさんが言っていた。
アラーイーの塔
入り口から伸びる小道の向こうに、柵に囲まれた円柱の基部がある。 奴隷王朝を倒したヒルジー朝2代皇帝アラウッディンが、クトゥブ・ミナールと同じデザインで2倍の高さの塔を建てようと試みたもので。 しかし、工事の途中でアラウッディンが死去したため、その後放置されたままになっている。
アラウッディンお、より大きな物を目指したのに、クトゥブ・ミナールに全然届いてないのが心残りであった事だろうな。
ダーラムさんは外でここの説明を終えると、中に入らず外で待っていると言うので、二人で中をうろうろ彷徨う。
ここは公園の様になっており、野生のリスがそこら中走り回っていた。 結構な広さで、あちこちに塔とか、モスクだとか、墓、鉄柱などが有るようだ。
しかし、俺様は、クトゥブ・ミナールと、アラーイーの塔を見た地点で体力ゼロ。 なんか視界がぼやけてと言うか、視点が定まらないのである。 つうか、その二つの塔もあまり記憶に残っていないぐらい弱っていた。
しょうが無いので、適当なポジションを見つけ、
「ここで待っているので、適当に見て戻ってきてくれ」
「なんだよ。 そんなに体調悪いのか? だからお前も医者に診てもらえと言ったのに」
「そいつは、俺の記憶が確かなら言ってねーぞ。」
と言う会話の後に分かれる。
とりあえずぼんやりとリスを見ながら待つ事数分、戻ってきたTと合流し外に向かう。 Tの話では、特筆すべき物は無かったと言っていた。
ダーラムさんとも合流して車に向かう途中、いつもの事だが物売に声をかけられる。
俺もいい加減慣れてきたので、「NO」と一発言ってその後何を言っても何してきても無視し、進路を妨害してきても突っ切る勢いなのだが、Tはどうも反応が良すぎる。 物売り何か言われると、
「ノー! ノーだって。 ノーだってば。 いらないよう。」
と言いながら、『弱ったな』みたいな感じで、避けようとするのである。 その態度をみて物売りインド人の目がキラリと光る。 『こいつ、くみし易し』と思われるのだろう。
「ほら、安いよ、みるだけ。 持って見ろ」
と追い込みをかけてくる。 その様子を見た他の物売りも、『こいつはイケるぜ!』と判断するらしく、よってたかってTに群がってくるのである。
しばらく歩いていると、ダーラムさんが、
「あれ? Tぃーさんは、どこですかァ?」
と言うので振り向いて探すと、物売りインド人数人に壁に追いやられているTをみつけた。 かつ上げされている中学生のようである。
以上、このクトゥブ・ミナールで、観光は全て終了である。
以前ダーラムさんに『どこか行きたいところ有りますか?』と聞かれ、俺は特に無かったのだが、Tは「アーユル・ヴェーダ」と言うインドのエステ行ってみたいと答えたていた。 ガイドブックを見ると、確かに面白そうである。
なので、この後はそこでエステを体験した後に、空港に向かうことになるのである。
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By 俺様 • 2001年 エレガントインド旅行 • 0